白隠さんと易経・ワンダーランド

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(写真は静岡に行くと必ずよる白隠さんの松陰寺です)

毎年、何か一つ普段しないこと

あまり仕事に関係ないことを

学ぼうと思っていて、

今年は四書五経にしようと決めて

学んでいるのですが、

一番最初に選んだ

易経が

あまりに深くて高くて

いまだ、その山の全景すら見えません・・・。

易を学ぶ為には

構造の理解はもちろん必要ですが

易占を避けて通ることはできません。

易占とは要するに占いで

占い自体がもともと好きではないうえに、

いくら自分の前意識が出てくるといっても

たまに集合無意識にアクセスできるかもしれないといっても

どうにも好きになれず、

だからと言って何かで卦を立てると(易占することです)

ついつい結果を意識してしまい、

また易の変化のノウハウに終始してしまい、

過度に意識しまいということも意識することと同じなので

卦を立てるということに関して

どうしても過剰になってしまいます。

しかも易の構造の底流に

「依存するな(意識するな)」

「でも結局依存してしまうだろうから依存先を選べ」

みたいな

だったら卦を立てさせるなよ

と言いたくなるような

心があり、

これをつくった人は

結構意地が悪いなあとも思ったりしてしまいます。

先日静岡に伺う機会があって、

行くと必ず

大好きな白隠さんの

松陰寺に寄ったり、

白隠さんの書を

読んだりするのですが、

白隠さんの書の中にも

たまに易の話がでてきたりしていて、

白隠さんは卦を立てることに対して

どうだったのかなあ

とみていたら

白隠さんは

一切卦を立てない

という箇所がありました。

ようするに

依存しそうなものには

手を付けないし

近づかない、

「卦を立てて依存するなら立てなければいいじゃないか」

という、

半年以上

易経を学んだ後に

そんな当たり前のことに

やっと気がついたのでした。

以上、村上春樹さんノーベル賞残念だったなあと、

タイトル思いついたので書いたら、

意外と書けたなあという話でした。