社長雑記 新着情報一覧

濱口竜介さんと縁起と

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(写真は仁和寺八十八ヶ所でみたオーブです)

 同時代にリアルタイムで生きておられることに感謝するしかないような大好きな人が幾人かいて、

そのうちの一人に映画監督の濱口竜介さんがいます。

(そのうちの一人のクレイトン・クリステンセンさんは少し前にお亡くなりになりました。残念で悲しいです。いずれ文章を書くかもしれません)

濱口竜介さんは今世界で数少ない、創発を映像化出来る方だと思っていて、

映画に面白さではなく、どれだけ心を揺らされ、絶望を味わうかを求めてしまう僕にとって

感嘆するしかない監督です。

それも全ての作品で。

過去の優れた映画監督たちの遍歴から考えても

昨年公開された彼の「ドライブ・マイ・カー」は最高傑作になるであろうと確信していました。

映画の中にちりばめられたオマージュと情報量が何層にもわたって表現され、別の意味が立ち上がってくる集大成を

一人ではなく誰かと一緒に分かち合いたいと

昨年、友人を誘って観に行く予定を立てていました。

しかし、ニ度ほどやむ得ない事情が重なって観に行くことを断念しました。

今年に入って、大好きな奥さんと 観に行く予定を立てましたが、結局予定が入り頓挫。

これは僕に何を教えてくれているのだろうかと思いながら、

次に公開された「偶然と想像」を先に観て、

戯曲のような構成や演者の映像の中での成長を味わいつつ、

あまり細かく説明すると大事なものが失われてしまうのでここまでにしますが、

大好きなシッタルダーさんがおっしゃられていた「縁起」の映像化を試みられているように感じ

ただただ、茫然とするのでした。

そして、まだ観ぬ「ドライブ・マイ・カー」を観ることにより一体どんな別の意味が立ち上がり、

絶望を味わいながら心を揺らされるのかと思うと

おそるおそるで楽しみにしてしまうのでした。

以上、「ドライブ・マイ・カー」は独りで観に行きます・・という話でした。

初代竹山さんと2代目竹山さんとプラシーボと閾値(いきち)と

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(写真は松尾さんの天狗さんです。今回は龍がみえました)

津軽三味線の初代高橋竹山さんは名前だけ聞いていたぐらいで

数年前の初代と2代目の竹山さんを取り上げる映画まで音源に触れることはありませんでした。

ただ、数年前にたまたまみた映画でその音の凄みに鳥肌が立ち、ただただ圧倒されました。


(初代竹山さん)

映画の内容は詳しく覚えていないのですが、

初代が物故された後、2代目を継がれた2代目竹山さんが

女性ということもあってか、

20年くらい、津軽三味線の地である青森で演奏できず、

20年ぶりに和解して青森で演奏されて、

青森の人たちに認められて拍手喝采を受けるといった内容だったように記憶しています。

ただ、最後の拍手喝采の演奏がもちろん素晴らしいのですが、

初代とあまりに違っていて、うーんと首を傾げてしまいました。

まあ、フェリーニさんとかがよくやるように、

監督さんがみる者の感情へ意図的にざわざわした違和感を感じさせようとしているのかなあと

かってに了解していましたが。


(初代竹山さん。年を重ねて表現に凄味が増されているように感じます。特に死の間際のダメな演奏をダメなまま晒しながら、そこに時間とともに命を吹き込んでいく様には感動を越えて戦慄を覚えます)

先月、百貨店イベントに伺った際に

たまたまお客様で初代竹山さん直系のお弟子さんがいらっしゃって

お話を伺う機会があったのですが、

初代と2代目竹山さんの演奏の違いの疑問をぶつけると

お弟子さんに「楽器の違いも大きいよ」

と教えていただきました。

初代の音は氷河期時代に育った木からできた津軽三味線からきていて、

木の目が詰まった独特の音を奏でるその三味線は、今ないそうです。

一方で2代目も初代に劣らず技術的に素晴らしく、

音として違うように感じるならそれは楽器だろうとおっしゃられていたのです。

あっ、いつものようにプラシーボか…と。

で、もう一度初代竹山さんの音源に接してみるとやはりすごい。

何度聞いても楽器を外して考えてもすごい。

彼の3歳で失明して津軽三味線を弾くことしかできなかった貧しい生い立ちや、

戦中、戦後に苦労され、

物乞いのように家々を訪ねて演奏してまわったといわれる経験からくる

何かえもいえぬ凄味が演奏にのっているような気がしてならないのです。

でも、2代目さんに映画の映像では僕だけかもしれないけど凄味が感じられない。

それは戦争で生死を体験しなかった僕たちや

 初めからノウハウや情報や便利を多く与えられている今の子供たちにも当てはまります。

自分ではどう変えようもない絶望であったり、死と隣り合わせの恐怖であったりがない時代というのは

生きていく上での多くのことは快適だったとしても、

表現者でもない零細中小自営業者にとっても

越えがたい壁のように感じるのです。

そうするとカマシワシントンさんのように

過去のジャズやすべての音楽を網羅して編集したうえで

膨大な時間をかけて、自分の音をのせていくために期待をしない努力し続け、

閾値を高め続けて、

こないことを前提としながら、

創発がやってくるのを信じるしかないという

いつもの姿勢しかないわけで…。


(2代目竹山さん。彼女にしか出せない音が感じられ素晴らしい演奏で、モダンで聞きやすいです)

これはこれで向き合わされたような

あーそうですね頑張りますよ来年も…といいたくなるような

一年最後の締めくくりとなった気がします。

 以上、今年最後もいつものようなやるせない、

言語化すると陳腐になる話しでした。

思い出さんと一斎さんと自画像

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(写真は娘が撮った嵐山の亀山さんです)

 またまた、最近聴いている音楽を教えて欲しいと連絡いただきました。時間配分にブログを入れ忘れて、すっかりご無沙汰しておりましたので、つれづれと少し書いてみますね。

 最近は、催事を久しぶりに復活したこともあり、何もないところから一から店づくりをする機会が増えました。

そんな時に聴いているのは

もっぱら思い出さん(思い出野郎Aチームさん)です。

たぶんベースがジャズとかソウルとかそういうものが好きなんだと思います。

他にも、思い出さんだとグダグダパーティー、sideB、繋がったミュージック等を聴いています。


(家でこの「アホな友達」を聴いていると、それからは子供達が「アホな友達の人達」と呼ぶようになりました‥。)

 で、彼らはそれぞれに、幼稚園とかテレビの美術屋さんとか別の仕事を持たれていて、音楽が生業ではなくても、本当に好きで関わっている優しい感じが好きなのです。

話は変わりますが、ちょうど個人的に佐藤一斎さんの著作の勉強会に参加していて、先日のテーマが「自画像」でした。

で、一斎さんは生まれ持った自身の自画像と、社会での自身の自画像の差が大きければ、大きいほど不安が大きくなり、お酒とか、性欲とか、ノウハウを求めるとか、安易な解決策や陰謀論などへの依存で、その不安を埋めようとするとおっしゃられているのです。

でも、思い出さんみたいに自画像の差を

好きな音楽で埋めていて、例え依存でも、依存として認識して楽しめればそれはそれでありだよなあ〜とも思うのです。

だからといって、中小零細自営業者の僕は

生まれ持った自身の自画像と社会的な自身の自画像がほとんど一緒で、そうすると本人は不安が少なく良いかもしれませんが、身近なまわりはすごく迷惑します。

先日も、初期衝動に生きる人間が自画像のまま行動して、迷惑をかけたような‥。

以上、久しぶりに書いても、やっぱりいつものようにグダグダとした話しでした。

蝲蛄(ざりがに)と蟋蟀(こおろぎ)、パンケーキと星野源さん

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(愛宕さんと息子、今年何とか建てた長刀鉾、月鉾です)

「今年も蝲蛄(ざりがに)行ってるわよね、息子さん。」

とご近所の数人のお客様に聞かれました。小学生の息子も大きくなってきて、昨年で最後かなあと思っていたけど、まだ行っているので書いてみますね。

いつもの蝲蛄(ざりがに)に加えて、

息子が育てているフトアゴヒゲトカゲが好きな蟋蟀(こおろぎ)も

捕まえています。

そんな備忘録です。

 ・昨年と同じ狩場は通用しない

・昨年と同じやり方は通用しない

・競争相手が多くなると獲物は減る

・結局どれだけ時間と情熱をかけるか

・どれだけとれるかの数ではなく、どんな獲物をどうやって取るかの方が大切

・蟋蟀(こおろぎ)はたまたま捕まえることはあまりない。コテン(フトアコヒゲトカゲ)の為に確固たる意志を持って取り組まなければ捕まえられない(だから捕まえられるのは息子だけ)

・初夏に蟋蟀(こおろぎ)を取ろうとすると限られた場所しかない

・蟋蟀(こおろぎ)は取りすぎると夜うるさい

 話は変わりますが最近、週末の朝、息子がパンケーキを焼いてくれるようになりました。

先日パンケーキを焼く時のBGMは以前、紹介したことのある星野源さんでした

(星野源さんの「地獄でなぜ悪い」)
  息子が幼稚園に通っていた時に一緒によくこの歌を聴いていて、

ある日幼稚園の先生が心配そうに

「息子さんが地獄、地獄という歌を歌っているのですが…」

といわれたことを思い出しました。

歌われている星野源さんは結婚されたそうでおめでとうございます。

ひねくれ者なので人気が出ると、

音も歌詞もキャッチーに分かりやすくなってきた気がして聴かなくなっていたのですが、

久しぶりに聴いてみるとやっぱり好きな歌だなあと思います。

サケロック復活しないかなあ。

名前を変えてシャケロックでもいいから…。

以上、息子のパンケーキは美味しいですよ

という話でした。

晩御飯づくりとコロナウイルスとペロポネス戦争後のギリシャと


(最近聴いている音楽を教えてほしいというお声を頂きました。そんなこと聞いてどうなの?と思いつつご要望ですので、紹介しますね。主に晩御飯を作るときにかけています。だいたいベッシースミスさん、ロバートジョンソンさん、マディーウオーターズさん、アレサフランクリンさんのローテーションで最近JBさんと在日ファンクさんが加わってきて、その影響か少し料理味付けが濃くなったような気がします…)

 新型コロナウィルスの繰り返す緊急事態宣言による店の時短で(越天楽、縦横無尽とも11時から15時までです)

帰宅が早くなることが続いています。

以前は娘と一緒に晩御飯を作ったりしていましたが、

最初の緊急事態宣言以降は学校が休みになるわけではないので

僕が一人で作るようになりました。

もちろん初心者ですし、急に幅を広げても手に余りますし、

最初に使用するのはフライパンと電子レンジのみ限定の料理です。

で、作るものはある程度数を重ねると自分の好みになってくるわけで、

人参をごま油でひたすら炒めて塩麴と胡麻を少し入れるとか

キャベツと豚バラブロックをひたすら炒めてとか

素材を味わうような素朴なものが多くなってきます。

歴史好きにとって今回の新型コロナウイルスは

インターネットという少し前の社会変革とはまた違った、

社会構造がやむにやまれず変わっていくような、

ペロポネス戦争後のギリシャ末期に立ち会っているような既視感を覚えます。

もちろん商売や生活の変化においての不安感は前提としてありますが、

それよりも起こったことを陰も陽もすべて味わい尽くしたい欲望をより強く感じています。

大好きな易経でいうと起こっている状態が吉であっても凶であっても悔であっても吝であってもすべては構造でしかなく、

どう変じていくかの観と、自身がどうあるかの深堀りが大切であったりします。

ただ、その必要な観や自身の存在に対する深堀りの不足によって、

味わい尽くせないのではないかという焦燥感も日々感じています。

起こったことをどこまで味わい尽くせるのか?

もっと味わい尽くしたい

自身がどんな存在で、何をもって味わうのか?

という欲望や焦燥感が料理にも反映されてきているのならちょっと嫌だな~

と思う今日この頃です。

以上、味付けは一度濃くなるとそこから薄くするのはなかなか難しいですよね~

という話でした。

般若心経と創発と三十三間堂と

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(写真は三十三間堂の河津桜です)

般若心経は昔から大好きで

何かしら毎日ブツブツ言っています。

様々な解釈と切りとりが出来るのが面白く、

最近は最後のほうにある

「故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

というところの解釈は「彼岸に行こう」という

向こう岸に渉る創発を教えてくれているように感じ、

ということはそこに至るには

「照見」

見たくない現実を観て、

「色即是空 空即是色」

境界線を広げて(より深めると識の境が識になる、境界線を持たないことだけど)

ひたすら意図を持たない熱量を持つという行動になってくるなあと思っています。

コロナ禍での個人の生き方に置き換えるとまさにこの般若心経だよなあと感じていて、

毎年人工的に行う見たくない現実をみる作業ではなく

ひたすら悶々と掘り下げていく作業を身をもっておこなっていかざるを得ない絶望に追い込まれるだろうなあと思っていたら、

意外にも、お客様やスタッフさんや大好きな奥さんの助けもあって、

なんやかんやと過ごしていける環境で

下手をすると深めるどころかこなしがちな自分がいて、

ちょっと最近慌てて、悶々とした深堀りに突っ込んでいっているところです。

早朝に東からの太陽に照らされた観音像達が彼岸をあらわすといわれた

三十三間堂に行って、

改めて目先ではなく数年先に向けて、

意図を持たないけど膨大な熱量をもって

悶々と悶々とワチャワチャとワチャワチャと

当たり前のことを深く深く、掘り下げて掘り下げて掘り下げて、

創発という彼岸に渉ろうと決めるのでした。

 でも、彼岸に渉ろうということ自体が意図だよなあ・・という話でした。

息子とフトアゴヒゲトカゲ

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我が家にはフトアゴヒゲトカゲがいます。

グリーンイグアナ→初めてのフトアゴヒゲトカゲときて

3代目のトカゲです。

そのフトアゴヒゲトカゲは砂漠の生き物なので

どんなに温度管理しても外気温が低くなる冬には

じっとして動きが鈍くなります。

小学生の息子は僕と違いきちんとしたまじめな性格です。

コロナ禍で学校が休みになった時に

学校に行けないからと

宿題や塾の勉強に加えて自習ドリル等を増やしすぎたことも

原因の一つかもしれませんが、

学校が再開してから一時、学校に行きにくくなりました。

その中で、学校が再開してから

学校には行きにくいけど、

フトアゴヒゲトカゲの世話を全面的にお願いすることにしました。

ご飯の配合、温度管理、トイレの始末、ケースの掃除そして毎日の優しい声かけ等々すべてです。

何を持って問題として、何を持って解決とするかを考えるのは難しく、

ただ、因の積み重ねから起こる状態でしかないかもしれないけど、

息子は、しばらくして元気に学校に行けるようになりました。

その因は一つではなくて、

先生方のご協力、クラスの友達の気遣い、近所の方々のやさしさ等ある中で、

息子が元気に学校に行けるようになった一助に

このフトアゴヒゲトカゲの世話があったのだろうと思っています。

先日、大寒波が来た日、

昨冬はじっとして食欲のなかったフトアゴヒゲトカゲが、

むしゃむしゃと小松菜の葉を食べる姿をみて

夏にはバッタを取ってきてあげ、

秋にはコオロギを取ってきてあげ、

毎日欠かさず語りかけをしながら掃除や水、ご飯の世話をする息子から

自分のためではなく他のために動く継続はすごいなあを思うのでした。

以上、小松菜の茎や芯は(うちのフトアゴヒゲトカゲは葉の部分しか食べないのです)

僕たちが食べてますよ

という話でした。

新型コロナと桂離宮と舞坂さん

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(写真はすべて桂離宮です)

コロナ禍になり、

ちょうど毎年のみたくない現実をみる時期にも重なって、

より深堀りできるような錯覚を持ちながら調子に乗って問い続けていると、

当然のことながら深さと安易さはトレードオフなわけで、

例年より質の違うしんどい脂汗を多めにかくことに愕然としながら、

苦く向かいあっている毎日です。

そんな中おかげでと思える、普段できないことをする機会も多く、

そのうちの一つとして

京都に住んでいる人間なのに

今まで伺ったことのない桂離宮に

家族で行ってきました。

センスとは大量の情報のインプットの後に

何が基本かを認識して、そこをベースに少しずらしたり、

自分や時代の色をのせることと理解しているのですが(あくまで僕の理解ですよ)、

その時代にもっともセンスがあった一人と言われている智仁親王の意図を

前提の知識がない僕では全く汲み取ることができないと残念に思うのでした。

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もちろん親切なガイドさんが教えてくれながらまわる

素晴らしい庭や景色をみると、

嬉しくもあり、感動もしますが、

ここが良いと感じて下さいねと

ハリウッド映画によくあるような

感じる場所を指定されながら消費するエンターテイメントと同じにおいで、

 そうすると、どこを切り取っても全方位にポイントがあり、

それぞれの過剰なアクセントには、かなりの消耗を強いられるのです。

その後に伺った舞坂さんのポイントは一つで、

やはり、前知識のない素人には

分かりやすく一つを深掘りしていくのが一番だよなあと思うのでした。

最近食べた鰻で一番美味しかったなあ〜。

以上、次に修学院離宮に行く機会があれば、もう少し準備してからいこう、もちろん帰りは舞坂さんで。

と決めた話でした。

飛蝗(ばった)と蟻地獄と蝲蛄(ざりがに)

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(蟷螂(かまきり)の子供、御室八八ヵ所、嵐山の用水路です)

「去年は息子さんと蝲蛄(ざりがに)取りに行かなかったの?」

とお客様に聞かれて、昨年はブログで息子と虫取りの事を書いていないことに気づきました。

一昨年も

その前の年も

その前の前の年も

なぜか非常に評判良く、

以前にも書きましたが評判が良すぎることを書くのも

(しかも大したことのない内容で…)

個人的には好まないのですが、

ご要望もありましたので書いてみますね。

今年は、蝲蛄(ざりがに)に加えて、

嵐山の原っぱで飛蝗(ばった)を、

またちょくちょく御室八八ヵ所に行くので蟻地獄を

捕まえています。

そんな備忘録です。

 ・蟻地獄を取るときは優しく指を入れる

・蟻地獄の巣をなるべく崩さない

・蟻地獄を捕まえて、一通りめでた後はつぶさないようにそっと巣に戻す

・息子が蟻地獄を取ろうとすべてのお堂で探すので、八八ヶ所全てまわるのには通常の2倍以上時間がかかる

・蝲蛄(ざりがに)が一番取りやすいのは手づかみ(息子の場合)

・蝲蛄(ざりがに)1匹2匹は取った内に入らない、10匹20匹でまあまあ

・蝲蛄(ざりがに)釣りの為のスルメを息子が食べ過ぎてなくならないようにする

 ・飛蝗(ばった)を取り過ぎてビニールに入れておくと地獄絵図のようになる

・小さめの飛蝗(ばった)は逃がす

・飛蝗(ばった)は網ではなく必ず手で捕まえる

・鳴く虫(鈴虫等)を学校の休み時間に捕まえてカバンに入れておくと、授業中に「リーン、リーン」と鳴く

・先生は笑って許してくれるし、意外と周りの友達も喜ぶ

・そのおかげか生き物係になった

以上、続けると具体的ではなく絵日記のような内容になるなあ~という話でした。

ハーメルンの笛吹き男と中小零細自営業者

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(写真は御室八十八ヶ所からみた愛宕山です)

思春期の頃大好きだった作家さんの中に

カミュさんやカフカさん

またその周辺の人々がいます。

カミュさんは「シーシュポスの神話」が、

カフカさんは作品ではなくて、

公園で人形をなくした女の子へ

人形のかわりに優しい手紙を書いてあげる話しが好きでした。

それでカミュさんだか、カフカさんだか

その周辺の人々だったか

ハッキリ覚えていないのですが、

ハーメルンの笛吹き男に関する文章があって、

その中で、笛吹き男に街の外へ連れていかれる子供達の中に

泣きながら、でもみんなと同じように踊りながら連れていかれる描写があったのです。

みんながトランス状態で興奮している中、

意識だけははっきりとしているのに

身体が自分の意志に反して、みんなと同じように踊りながら連れていかれるという

その時は少し怖い話だなぁぐらいの感覚でした。

年を重ねてその話を思い出したときに

泣きながら連れていかれる子供は

中小零細自営業者の僕たちとしか思えなくて、

笛吹き男に逆らう力もなく、

だからと言って煽られてもトランス状態になれずに、

でも結局、みんなと破滅の道に進んでいくしかないという

悲しい話と感じるようになりました。

ただ、最近は、

連れていかれるのは仕方ないことだとしても

散々泣いた後に

せめて道中楽しいことが見つかればいいなあと思います。

以上、そうはいっても腹は減る(お金は必要)…という話でした。