社長雑記 新着情報一覧

鴨長明さんと必要条件

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(写真は朝日と渡月橋です)

長いこと商売をしていると

考えることはいつもエントロピートレードオフの事で、

また加えて必要条件を考えます。

何かをしようとすると必ず必要な条件があるということです。

それはお金であったり、時間であったり、人であったりして

それがなければ上手くいかないという条件です。

ただ、必要条件を考えますと書きながら

実際は考えられたらいいなあという

希望であって、

現実の中小零細企業のオヤジなんかは

そんなこと考えもせずに

思いついたことをして、

するだけではなく、

突っ込んだ上にやりすぎて、

危うくすべてが吹っ飛びそうになるということが

多々あります……。

そんな時何とかなってきたのは

大好きな奥さんのフォローと

わずかでもケチケチ積み上げてきたバッファだけで、

つい最近も

必要条件を無視した

全てが吹っ飛びそうな事案がございました……。

鴨長明さんの方丈記でしるされている

「ゆく川の流れは絶えずして~」

という文章の美しさ、

全てを4畳半で生活できるというスタイルは

20代頃の憧れでした。

また、ソローさんの

家から家具から食べ物から

全てを自分で作り上げる

「森の生活」

にも憧れていました。

20代の頃はしっかり稼いで

さっさと引退して

鴨長明さんやソローさんのように

それこそちょっと前にはやった

早期リタイヤして

投資的生活をしながら

人生を楽しむんだと思っていました。

ただ、年月を重ねて気づいたことは

早くにリタイアして人生を楽しむには必要条件があり、

自分はそれを満たしてないという現実でした。

鴨長明さんのような文章や琴の名人でもなく、

ソローさんのような博学で自給自足の達人でもなく、

ただただ、商売が好きなおっさんでしかないということです。

早期リタイアには趣味であったり

遊びであったりを楽しみ、

しかもそのレベルが高いことが必要条件で、

それには膨大な時間か高い能力がいるのだけど、

それらが一切ない僕は

「ああ、大好きな手塚治虫さんのように、死ぬまで働き続けるんだなあ」

と最近は思っています。

ただ、手塚治虫さんのように死ぬまで働き続ける必要条件も結構シビアで、

「お客様に面白いと思っていただけることを提供し続ける」

必要とされる=必要とされるような面白いものを提供し続ける=売り上げが上がり継続のための利益をえる

という条件を満たし続けなければならないわけで、

そうするといつものように、

くだらない処世訓のように、

「日々、良き筋で地道に努力する」

ということになるのでした。

以上、日々の積み重ねしかないよな~

しかも良き筋で……。

この良き筋というのがなかなかなあ〜。

という話でした。

恐竜の美しさ、中小零細自営業者のみにくさ

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(写真は住吉さんの楠です)

年に一度は2月に

福井の恐竜博物館に行くのですが

今年は家族の都合で行くことができません。

恐竜が大好きな5歳の息子に

「今年は別のところに行かなければならないから行けないよ」

というと

「分かった~。」

と物悲しそうな顔で答えました。

「嫌だ~。」

とお騒ぎするのならコンコンと説明するのですが、

物悲しそうな顔をされると

こちらとしても何かしなければと思ってしまって、

時々行く住吉さんの近くにあって

日帰りでいけて

恐竜が展示されている

大阪の自然史博物館へ行ってきました。

福井でも、大阪でも

恐竜を見るたびに

その凄さに圧倒されます。

生態、機能、進化すべてを

環境に最適化していった姿には

言葉にできない生命の美しさを感じます。

ただ、そんな美しい恐竜が

氷河期になって全滅したという事実には

寂しさと恐ろしさを感じてしまいます。

部分最適もすぎると

生命として圧倒的に美しくはなるけど環境が変わった瞬間に全滅するということですし。

どちらの博物館にもある

人間の祖先、哺乳類の模型は

まあなんと醜く、

そんな醜い彼らが

環境が変わる氷河期の谷を生き延びたのは、

脱同一化しながら

何でも食べて、

余計な進化をしないことにより

エネルギー効率が良くし、

環境に適応しすぎなかったからと言われています。

これは今、氷河期のような状況に立たされて

それでも何とか生き延びようとする

僕達中小零細自営業者と一緒だなあ~

と複雑な気持ちになります。

どんなに醜くても

氷河期の谷を越える為にバッファに固執して

できることは何でもする、

しかも自分のリソースにないものは

儲かりそうでも手を出さない。

平たく表現すると

利益と資産を守りながら、大きなことをせずに、地味なこと試して改善し続ける……。

よくある処世訓のようで、かっこよさのかけらもないよなあ~。

 そんなことを思いながら

帰りには住吉さんの楠珺さんによって

招福猫を一つ増やして

ささやかながら嬉しい気持ちになるのでした。

以上、「大阪も楽しかったけど、オイラやっぱり福井も行きたいな〜」と、

ニコッと笑っていう息子に負けて、

結局福井に行くんだろうなあ〜

 という話でした。

この世界の片隅に

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(写真は嵐山で大雪の日に、家族が作った恐竜のカマクラです)

あまり映画をすすめない友人が

昨年、みてくれとすすめてくれたので

昨年は忙しくてみることができなかったけど

今年に入ってやっと大好きな奥さんと

「この世界の片隅に」

をみてきました。

今でも少し余韻が残っているくらいの

素晴らしい映画でした。

映像の広がりや

音楽の美しさ

声優さんの表現力

細部へのこだわりはもちろん、

それら贅沢な素材を

引き算して使われていて、

上質な和食を頂いたような

満足感を得ることが出来ました。

また、見終わった後に

喜怒哀楽ではない

言語化できない

感情をまとめることのできない

感動を頂いたのも久しぶりでした。

楽しかったり、悲しかったり、怖かったりではなく

「これはなんなんだ?」

というちょっと呆然とした感じです。

他の人の感想はみてないので

わからないですが、

どんな映画かと問われれば

友人が伝えてくれたように

「まあ、とにかくみてみてください」

とすすめたくなるような

はじめての映画でした。

以上、「まあ、とにかくみてみてください。」

という話でした。

2017年から先 欲から業へ

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(写真は或る日の渡月橋からみた虹です)

あけまして

おめでとうございます。

今年も宜しくお願いいたします。

今回も個人的な内容ですので

読みたい方だけ読んで下さいね。

お店 としての挨拶は

後日いたします。

昨年一昨年

先の一年についてを書いて、

良き通過儀礼になるかなあ

と思っていたのだけれど、

どうも書くことで

大好きな沢庵さんがいう

「とらわれる」

状態になりました‥。
(ご興味あれば不動智心妙録をお読み下さい。個人的にはチクセントミハイさんより本質的だと思っています)

具体的にいうと

「販売の神様」

を書いたことで、

販売の神様が降りてこなくなったように

書くことで、それを意識してしまい

結果的に

「ゾーン」や「フロー」

のような偶然に

入りにくくなるということです。

商売を長いことしていると、

果てしなく果てしなく地道に改善しながら続けた先にくる

偶然があり、

それが次にいく道標だったりするのですが、

 それは意識したり、目的にしたりするとやってこなかったりします。

だからといって努力自体を楽しむというのもなかなか難しいんだけど‥。

性格的なものですが

僕の場合は

とらわれやすいので、

今回で先の一年については最後にしますね。

ですので今回は2017年から先の話しです。

大好きな談志さんは

「落語は業の肯定だ」

と喝破されました。

赤穂浪士の仇討ちした47人以外の赤穂藩にいながら何もしなかった多くの人達、

情けなくて保身に走った人達こそ

 正義という欲に走った人間ではなく、

人間本来の業に生きた落語の登場人物だということです。
(脱線しますが、この談志さんの宣言を受けての志の輔さんの赤穂浪士をテーマにした噺は凄いよなあ〜。談春さんより、志らくさんより、談志の名跡を継いで欲しいなあ〜)

「ジョーのあした」で

辰吉さんがボクシングが生きること

と語ったように、

「リリーのすべて」で

リリーさんが私の身体が間違っている

と叫んだように、

 いよいよ間近に迫ってきた

AIの進化から来る

しなければならないことが

ほとんど解決されてしまう先には
(東ロボくんが東大を諦めて、Googleさんが自動運転の研究をやめたことで、AIのディープランニングは、夢のような全能を求めず、できることが現実的に限定されてきて、その流れはより加速したように感じます。)

初期衝動から来る

業しかないよなあ〜

という観で、

零細自営業者の僕たちは

もちろん目先に稼がなければならないけれど、

その欲だけでは生き残っていけなくなり、

お金を稼ぐことは、

目的ではなく

業の達成の為の

必要なハードルの一つになってきてしまったなあ〜

と思っています。

昔は天才やある生まれ持った環境の人間しか与えられなかったこの条件が、

意識さえ持てば凡人にも与えられようという今の時代は、

人間の生としたら

贅沢だけど

まあなんと、 過酷なことかと絶望しそうになります。

まわりのせいにも

時代のせいにも

何のせいにもできなくて

初期衝動から来る

業に生きることに

耐えられるかなあ〜と思いつつ、

教団の教祖でありながら真実の為に解散した

大好きなクリシュナムルティさんのようにはなれないしなあ〜と思いつつ、

でも、進むと決めるしか道はないんだよなあ〜。

そして歩くしか。

2017年から先ずっと。

以上、最後まで理屈っぽい上にまとまらないなあ〜

という話しでした。

そうだったのか荘子さん

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(写真は東寺さんの山茶花です)

易を学びだしてから

中国古典が面白く

昔、よく分からなかった書を

読み解けたり、

道徳的と嫌っていたものが、

世界の構造を表現したものとして開けてきたりして、

楽しくなってきています。

ただ、その中で読み返している

荘子さんは

まあ、クドく同じことを繰り返して、

しかもこれ荘子さん書いてないだろう

という内容があったりして、

ウンザリしているのですが、

油断すると

ハッとするような深さがあるので、

付き合わなければならない

割と面倒な書でもあります。

で、先日大好きな奥さんに

「荘子さんクドイんだよね〜。

同じことの繰り返しで。

でもたまにハッとするような深いところあるし、

読み飛ばせないんだよなあ」

と、愚痴をこぼしていると、

「あなたと一緒じゃない。

ハッとするところはないけど」

と、ご指摘頂きました‥。

なるほど

自分に似ているから

好きなのかも知れませんね‥。

ハッとする深さがないだけで‥(涙)

以上、仕事以外で

見たくない現実をみるのは

覚悟がないだけ余計に

泣けてくるなあ〜

という話でした。

獺祭とめんどくさい男

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(写真は、もしタイのバンコクに行くなら外してはいけない和盛豊さんのフカヒレです)

ほとんどの日本酒好きの男性は

ウンチク好きで、理屈っぽい

と思います。

ご多分にもれず、

僕も何処の蔵やら

どんなつくり方やら

知った上で日本酒を

たしなみたい人間です。

そんな分かったような顔をして

日本酒を飲みたい人間にとって

獺祭は、少し困ったお酒です。

研究室の様に厳密に管理された工場で、

人間が美味しいと感じやすい味を科学的に追及して、

経験のない人間でも造ることのできる工程で

つくられてきた日本酒は

それを日本酒と呼んでいいのか?

と思ってしまうのです。

亡き恩人

「美味しければいい」

という方で、

好んで飲まれていましたが、

ひとたび日本酒が好きと決めた面倒くさい男にとっては、

音楽が大好きといいながら、

AKBさんやEXILEさんが好き、

商売を自分でしているのに

自己啓発やノウハウ本が好き、

本が大好きといいながら

少年ジャンプが好き、

といった

ある種の恥ずかしさのようなものを感じてしまうのです。
(上記好きな方すいません。あくまで僕の個人的な意見ですのでご容赦下さい)

美味しいものや

分かりやすいものばかり集めてもなあ

と、思ってしまうので。

個人的には

コンピュータが出てきて

人間にはできないと言われたドラムンベースをするようになり、

多くのプロドラマーが失業した後に

その不可能と言われたドラムンベースを軽々とこなし、コンピュータを超える人間が出てきた様に、

コンピュータがでてきて、チェスのトップが負けた後、

そのコンピュータを超える人間が続々とでてきた様に、

獺祭がでたことで、

獺祭を超えるお酒をつくる杜氏さんがでてくると

希望的観測を持ってはいます。
(今すでに何人かはいらっしゃるけど、もっと数多く)

ところが最近、お酒に弱くなり

特に自宅で日本酒を飲むと

必ずと言っていいほど

意識がおぼろげになり

半裸で、リビングのソファーに寝てしまう

という事が続いた結果、

大好きな奥さんに

自宅での日本酒禁止令を

言い渡されました。

その後、 出張をなくしたこともあり、

余程のお祝いごと以外で

日本酒を飲むことはありませんでした。

それでも酒飲みの性として

いつも飲む理由を探してしまいます‥。

こんな時は日本酒ならどんなものでもいいから‥と。

と或る百貨店さんにイベント出店した際、

近くのスペースで獺祭フェアをしていて、

これは!

と、大好きな奥さんに

上記の話を一渡りした後、

「やはり、最近なにが美味しいか、ど真ん中を知らなければと思うんだよね〜」

と、試みると

大好きな奥さんは

静かな静かな目で

「ふ〜ん」

といいました。

僕は慌てて

「か、買おうというわけではないけどね」

と、と ってつけるのでした。

以上、表現は目だなあ

という話でした。

世阿弥さんの悲しみ、一斎さんの哀しみ、或いは孫子さん

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(写真はリニューアルした越天楽玄関の花です。)

 

世阿弥さんが書かれた

「風姿花伝」

を久しぶりに読むと

全く違った風に読めて、

其れから

50代に書かれた

「花鏡」

80代に書かれた

「却来華」

を紐といていって、

とくに

これから全てを継がせようと

考えていた息子さんに死なれた後に書かれた

「却来華」

を読むと、

世阿弥さんの

気丈さ

深い悲しみに

涙を禁じえません。

佐藤一斎さんの

「言志四録」

も大好きな書で、

久しぶりに紐とくと、

中斎さんから

華山さん達から

ペリーさんまでの

時代の激動の中にありながら

自らに刻みつけるように

行動を抑制して、

全てを観て

中道を表現すること

のみに徹してきた

哀しみが伝わってきて

こちらも涙を禁じえません。

今年に入って、

涙したのは

この二つの書でした。

引き継ぐことの出来ない悲しみと

ただ観ることに徹する哀しみは

その能力が欠如している人間にとって

羨ましく

寂しく

絶望の淵を感じます。

そんな時に何時も

思い出すのは

孫子さんの

「奇勝なく

智名もなく

勇功もなし」

という

「ただ行くしかない」

言葉で、

今はまだ

悲しみにも

哀しみにも

出会うには早すぎて、

いずれ

絶望の淵の先に

出会うのかもしれないけれど

それでも、

前に踏み出すしかないんだよなあ。

以上、

最近読んで

泣いた本は何ですか?

とメールを頂き、

書いてはみたけれど、

「結局凡人は勇気だよ

先に何が待っていようとも」

という

陳腐で自己陶酔的な話に落ち着いて

すいません‥

という話でした。

ポケモンGOと蝉

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(写真は息子と愛宕山です)

4歳になる息子が

どこで知ったのか

「ポケモンGOって何?」

と聞いてきたので

「ゲームの事は良く分からない。

色々なものを集めて楽しむんじゃないの」

と答えると

「おいら(息子は自分の事をこういいます)、

してみたいな~」

というので、

「ゲームは良く分からないから

蝉でもとろうか?」

というと

「蝉がいい~」

となって、

暇さえあれば

蝉を取りに行くことになりました・・・。

回数を重ねると少しずつ気付きが出てきて

来年の夏にも行くかどうかわかりませんが

来年に向けて備忘録的な気付きを残しておきます。

 まだまだ、夏は続くので記載が増えるかもしれません。

・アブラゼミは比較的簡単にとれる

・クマゼミはめったにとれないのでとれると嬉しい

・ツクツクボウシの声は聞こえるけど見つけるのが難しい

・ミンミンゼミは声すら聞こえない

・セミを網に入れた後の網の返しが大切

・セミをかごに入れる時には素早く

・場所によってたくさんいる場所といない場所がある

・いない場所でどんなに頑張っても無駄

・たくさんいた場所でも次の日は少なくなる

・飛ぶときにおしっこをかけられるので素早く下がる

・大体ななめ45度ぐらいに飛ぶのでそこに網を持っていく

・男の子の狩猟本能は半端なく、何十匹でも際限なくとっていくので場所を変えてクールダウンさせる

以上、蝉とりの備忘録でした。

スターウオーズ7と中小零細自営業者の生き筋

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(写真は清滝で川遊びしていた時、娘が見つけた山椒魚です)

たぶんほとんどの方と同じように

スターウオーズは

そんなに熱心ではなく、

そこそこ知っている程度だけど

スターウオーズ7は

何だかみんな観てるみたいだし

とりあえず観てみよう

という感じで観ました。

で、観てみたのですが

すごく良く出来ています。

昔のスターウオーズを笑いたくなるような優れた技術と、

適宜見事なタイミング出てくる

過去のキャラクターの登場で
(嗚呼ハンソロ!)

好きな方がみるとたまらなく嬉しいと思います。

本当によく出来ています。

よく出来ているんです・・・。

アクションから映像から登場人物から

おそらく練りぬかれていて

良く出来ているんです・・・。

良く出来ているんです‥。

でも、この物足りなさは何なんだろう・・・。

ルーカスさん一人抜けた

この違いというのは・・・。

子どもと一緒に見る機会の多い

ディズニーさんの良く出来た

感情の発し所を指定されるような

マネタイズ前提の

様々な商業的映画を観ても

何も感じないのだけれども、

過去のルーカスさんの作品を知って

ディズニーさんのスターウオーズを観ると・・・。

まあなんと

「観」

「存在」

の欠如したことか!!

そしてこの礎石の残らなさ・・・。

有り難いことに、

これを観ることで

このあたりに

僕達

中小零細自営業者の

唯一生き残っていく

生き筋があるんだなあ

と感じさせていただきました。

以上、

なめらかなものより

ゴツゴツしたものに

ならないとなあ〜。

ほとんどの人には嫌われるだろうけど

という話でした。

閾値を高める

 
(サックスがカマシワシントンさんです)

最近のJAZZで

「スターバックスに流れているようなJAZZはつくらない」

と言っていた

フライングロータスさんが苦手で

だからといって

スターバックスで流れているようなJAZZは嫌いだし、

いわゆる一昔前と言われるコルトレーンさんあたりしか好きではないのですが、

最近のJAZZは

面白いと聞いていながら

いまいち手つかずでいました。

スイングジャーナルという雑誌で

中期以降紹介されていたようなJAZZが、

JAZZを駄目にした

と思っていて、

休刊になった時は

時代が変わるなと楽しみにしていたのですが

その楽しみにも関わらず

新しいものを受け付けられない自分に

うんざりもしていました。

そんな中で最近、

どの雑誌か忘れてしまいましたが

「カマシワシントンさんいいよ~」

というコラムがあって

「へー」と

聞いてみると

まあなんと深淵な音でした。

新しくもなく、

古くもなく、

彼だけの音なんです。
(上手いこと表現できませんので聞いてみてください)

彼の音を聞いていると

フライングロータスさんの文脈も

少し理解できてくるような気がします。

僕たちの時代は結構恵まれていて

音楽を聞くにしても、

映画を見るにしても、

哲学を知るにしても、

既存の知の量が少なく

適度な努力で

十分に満たされる幸せな時代でした。

でも、カマシワシントンさんの時代あたりから

既存の知が閾値(いきち)を超えて

1人の人間では扱いきれない量に

転換したように感じます。

哲学では、

人間は閾値を超えると

情報を減らして身の回りの小さい世界にしか

関心を持たなくなると言われますが、

同時代のほとんどの人達が

閾値を超えて

欲望が薄くなり、

世界が細分化して

断絶していく中で、

カマシワシントンさんは

閾値を高めて

表現をされているのだなあと。

これも何の引用か覚えていないけれど

一昔前は

ミュージシャンには

酒と女性とドラッグがつきものだったけれども、

カマシワシントンさんやフライングロータスさん達同時代の仲間内での合言葉は

「昨日、何時間練習したか?」

すなわち一日のどれくらいを

閾値を高める為に使ったか?

ということでした。

既存の知の量が多ければ多いほど

閾値を高めるのには時間がかかります。

彼らは、既存の知を編集したうえで

自分の音をのせる為に

膨大な時間を

他の全てを犠牲にして

捧げているのです。

こうすれば上手くいくというような

安易なノウハウや

音楽でいう

酒や女性やドラックのような

分かりやすいポーズが

ますます通用しなくなってきて、

閾値を高めるためには

地道で膨大な時間が必要だという

厳しくて平等な時代になってきた今、

さて、

自分の子供たちを考えたら・・・。

以上、子供たち頑張れよ~、

もちろん自分も頑張らなくては・・、

という絶望的だけど

凡人には福音だなあという話でした。