越天楽の2022年夏新作作品が出来上がりました。
いつものバックシャン、前だけでなく後ろも美人のお洋服たちで楽しんで頂ける出来上がりとなっています。
作品は嵐山の実店舗「越天楽」と「縦横無尽」にて紹介させて頂きます。
越天楽
縦横無尽
スタッフ一同
同時代にリアルタイムで生きておられることに感謝するしかないような大好きな人が幾人かいて、
そのうちの一人に映画監督の濱口竜介さんがいます。
(そのうちの一人のクレイトン・クリステンセンさんは少し前にお亡くなりになりました。残念で悲しいです。いずれ文章を書くかもしれません)
濱口竜介さんは今世界で数少ない、創発を映像化出来る方だと思っていて、
映画に面白さではなく、どれだけ心を揺らされ、絶望を味わうかを求めてしまう僕にとって
感嘆するしかない監督です。
それも全ての作品で。
過去の優れた映画監督たちの遍歴から考えても
昨年公開された彼の「ドライブ・マイ・カー」は最高傑作になるであろうと確信していました。
映画の中にちりばめられたオマージュと情報量が何層にもわたって表現され、別の意味が立ち上がってくる集大成を
一人ではなく誰かと一緒に分かち合いたいと
昨年、友人を誘って観に行く予定を立てていました。
しかし、ニ度ほどやむ得ない事情が重なって観に行くことを断念しました。
今年に入って、大好きな奥さんと 観に行く予定を立てましたが、結局予定が入り頓挫。
これは僕に何を教えてくれているのだろうかと思いながら、
次に公開された「偶然と想像」を先に観て、
戯曲のような構成や演者の映像の中での成長を味わいつつ、
あまり細かく説明すると大事なものが失われてしまうのでここまでにしますが、
大好きなシッタルダーさんがおっしゃられていた「縁起」の映像化を試みられているように感じ
ただただ、茫然とするのでした。
そして、まだ観ぬ「ドライブ・マイ・カー」を観ることにより一体どんな別の意味が立ち上がり、
絶望を味わいながら心を揺らされるのかと思うと
おそるおそるで楽しみにしてしまうのでした。
以上、「ドライブ・マイ・カー」は独りで観に行きます・・という話でした。
津軽三味線の初代高橋竹山さんは名前だけ聞いていたぐらいで
数年前の初代と2代目の竹山さんを取り上げる映画まで音源に触れることはありませんでした。
ただ、数年前にたまたまみた映画でその音の凄みに鳥肌が立ち、ただただ圧倒されました。
(初代竹山さん)
映画の内容は詳しく覚えていないのですが、
初代が物故された後、2代目を継がれた2代目竹山さんが
女性ということもあってか、
20年くらい、津軽三味線の地である青森で演奏できず、
20年ぶりに和解して青森で演奏されて、
青森の人たちに認められて拍手喝采を受けるといった内容だったように記憶しています。
ただ、最後の拍手喝采の演奏がもちろん素晴らしいのですが、
初代とあまりに違っていて、うーんと首を傾げてしまいました。
まあ、フェリーニさんとかがよくやるように、
監督さんがみる者の感情へ意図的にざわざわした違和感を感じさせようとしているのかなあと
かってに了解していましたが。
(初代竹山さん。年を重ねて表現に凄味が増されているように感じます。特に死の間際のダメな演奏をダメなまま晒しながら、そこに時間とともに命を吹き込んでいく様には感動を越えて戦慄を覚えます)
先月、百貨店イベントに伺った際に
たまたまお客様で初代竹山さん直系のお弟子さんがいらっしゃって
お話を伺う機会があったのですが、
初代と2代目竹山さんの演奏の違いの疑問をぶつけると
お弟子さんに「楽器の違いも大きいよ」
と教えていただきました。
初代の音は氷河期時代に育った木からできた津軽三味線からきていて、
木の目が詰まった独特の音を奏でるその三味線は、今ないそうです。
一方で2代目も初代に劣らず技術的に素晴らしく、
音として違うように感じるならそれは楽器だろうとおっしゃられていたのです。
あっ、いつものようにプラシーボか…と。
で、もう一度初代竹山さんの音源に接してみるとやはりすごい。
何度聞いても楽器を外して考えてもすごい。
彼の3歳で失明して津軽三味線を弾くことしかできなかった貧しい生い立ちや、
戦中、戦後に苦労され、
物乞いのように家々を訪ねて演奏してまわったといわれる経験からくる
何かえもいえぬ凄味が演奏にのっているような気がしてならないのです。
でも、2代目さんに映画の映像では僕だけかもしれないけど凄味が感じられない。
それは戦争で生死を体験しなかった僕たちや
初めからノウハウや情報や便利を多く与えられている今の子供たちにも当てはまります。
自分ではどう変えようもない絶望であったり、死と隣り合わせの恐怖であったりがない時代というのは
生きていく上での多くのことは快適だったとしても、
表現者でもない零細中小自営業者にとっても
越えがたい壁のように感じるのです。
そうするとカマシワシントンさんのように
過去のジャズやすべての音楽を網羅して編集したうえで
膨大な時間をかけて、自分の音をのせていくために期待をしない努力し続け、
こないことを前提としながら、
創発がやってくるのを信じるしかないという
いつもの姿勢しかないわけで…。
(2代目竹山さん。彼女にしか出せない音が感じられ素晴らしい演奏で、モダンで聞きやすいです)
これはこれで向き合わされたような
あーそうですね頑張りますよ来年も…といいたくなるような
一年最後の締めくくりとなった気がします。
以上、今年最後もいつものようなやるせない、
言語化すると陳腐になる話しでした。
またまた、最近聴いている音楽を教えて欲しいと連絡いただきました。時間配分にブログを入れ忘れて、すっかりご無沙汰しておりましたので、つれづれと少し書いてみますね。
最近は、催事を久しぶりに復活したこともあり、何もないところから一から店づくりをする機会が増えました。
そんな時に聴いているのは
もっぱら思い出さん(思い出野郎Aチームさん)です。
たぶんベースがジャズとかソウルとかそういうものが好きなんだと思います。
他にも、思い出さんだとグダグダパーティー、sideB、繋がったミュージック等を聴いています。
(家でこの「アホな友達」を聴いていると、それからは子供達が「アホな友達の人達」と呼ぶようになりました‥。)
で、彼らはそれぞれに、幼稚園とかテレビの美術屋さんとか別の仕事を持たれていて、音楽が生業ではなくても、本当に好きで関わっている優しい感じが好きなのです。
話は変わりますが、ちょうど個人的に佐藤一斎さんの著作の勉強会に参加していて、先日のテーマが「自画像」でした。
で、一斎さんは生まれ持った自身の自画像と、社会での自身の自画像の差が大きければ、大きいほど不安が大きくなり、お酒とか、性欲とか、ノウハウを求めるとか、安易な解決策や陰謀論などへの依存で、その不安を埋めようとするとおっしゃられているのです。
でも、思い出さんみたいに自画像の差を
好きな音楽で埋めていて、例え依存でも、依存として認識して楽しめればそれはそれでありだよなあ〜とも思うのです。
だからといって、中小零細自営業者の僕は
生まれ持った自身の自画像と社会的な自身の自画像がほとんど一緒で、そうすると本人は不安が少なく良いかもしれませんが、身近なまわりはすごく迷惑します。
先日も、初期衝動に生きる人間が自画像のまま行動して、迷惑をかけたような‥。
以上、久しぶりに書いても、やっぱりいつものようにグダグダとした話しでした。
(写真はコロナ禍で夜に登れないので、昼にお詣りした愛宕さんです)
いつも感謝しております。
まだまだコロナ禍は続きますが、そろそろイベントを再開いたします。
といっても少しずつですが・・。
2021年は
2021年10月19日~10月27日
広島三越百貨店8階エスカレーター前
(広島県)
2021年11月10日~11月16日
東武宇都宮百貨店3階イベントスペース
(栃木県)
2021年12月15日~20日
丸広百貨店東松山店 3階エスカレーター横
(埼玉県)
に出店します。
いつものように河野自身がうかがいます。
マスク越しに、感染対策に留意しながらとなりますが、楽しい作品と時間と空間をお届けできればと思っております。
お近くの方はよろしければお越しくださいませ。