禅の和尚とおなら
商売をはじめた時からずっと探していて
いまだに出会うことのできない人に禅の和尚がいます。
見たくない現実を見るのが苦手な僕にとって
見抜いてくれる理想の禅の和尚のような存在を
ずっと探していました。
しかし、いまだに見つかっていません・・・。
2016年も4月になり
小学校に行っている娘の学年も変わり、
娘が持って帰ってきた新しい担任の先生の文章に
アインシュタインさんの言葉が書いてあって、
フロイトさんがいう
「超自我」
についての文章だったのですが、
大好きな奥さんに
「新しい先生、超自我の事を書いていていいね~」
と話していると、
「ふ~ん、まあ嫌いではないけれど」
と言いながら全く関心のない様子でした。
しばらくして別の時に
「超自我」
の話をしていたら、
どうも僕の滑舌が悪く
「超自我」が
「鳥獣戯画」
と聞こえていたようで、
説明すると今度は
「超新星」
に聞こえたらしく、
「どうでもいいわ」
と一喝されました。
それでも
「超自我」
について分からないかもしれないと
しつこく(そういう性格なのです)
「子供のころに人前でおならをしても平気な家庭と
絶対にしてはいけない家庭があるだろう。
してもしなくてもどちらが正しいではなく
家庭で正しいと与えられたもの
それを「超自我」というんだよ」
と言うと、奥さんは
「小難しい言葉を使いたがるあなたの説明が
おならのようで、ただ単に
俺知っていると言いたいだけなんじゃないの」
と喝破するのでした。
以上、禅の和尚は探さなくてもいいのかもしれない
という話でした。
