京都嵐山 越天楽 縦横無尽

自分たちで面白いと感じる作品や商品を
自分たちが楽しみながらつくりあげた時間と空間にのせて
お客様に喜んでいただけることが何より嬉しいです。

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社長雑記

ケイコ 目を澄ませて




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(写真は小学校高学年の息子のつくった「生き物の世界」です)
 


1月に続いて何とか月の最後に
映画館で映画をみることができました。

三宅唱さんは前作の「きみの鳥はうたえる」が好きで、
そこから遡って「COCKPIT」でやられたクチですが、
今回も上質な積み重ねを感じさせる内容で、
冒頭の小津さんをオマージュしたような電車の交錯や河川敷であったり、
ゴダールさんを彷彿とさせるような映像の色であったり、
引きこまれてあっという間の時間でした。
合間にさりげなく「COCKPIT」の音楽が流されたりしているところも好みです。

「ケイコ 目を澄ませて」

主演の女優さんが素晴らしすぎて、
おそらく監督が様々に積み重ねてきたものがみえにくくなってくるのは皮肉だなあと思いながら
何度もみると気づくことも多いだろうし、
何度もみるだろうなと思える映画でした。

蛇足ですが、主演である岸井ゆきさんが日本アカデミー賞の主演女優賞を受賞されて
おめでたいと思う反面、
みんながいいと言うものを嫌悪する天邪鬼な人間は
少し寂しい気持ちになるのでした。


以上、映画館での映画鑑賞が何とか続いたな…という話でした。

 

2023年03月15日 00:00

エンドロールのつづき




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(写真は大雪だった日の嵐山です)



ただでさえ少ない意志力が年々衰えてくるなかで、
より深く知りたいことであったり、感じたいことであったりする欲望は相変わらずというかむしろ増える一方で、
それを満たそうと思うと継続が必要なわけで、
少ない意志力で何とか続けるために
友人達と学習会したり、有志達と読書会したりと何とか継続するために足掻いたりしています。

その中の一つにサブスクの映画を毎月2本鑑賞するというのものがあり、
もう何年も続けています。
ただ、映画館でみるのとパソコンの画面でみるものには
最近では中学生の娘ですら使っている「似て非なるもの」
という大衆化した孟子さんの言葉で表現されるような、
感性を摩耗させていくものがあるような気がするのです。

数年前からネット販売をはじめて、
映画館で映画をみることとパソコンで映画をみることの違いのように、
店舗での販売との違いを思い知り、
どちらがいい悪いというわけではなくそれぞれの違いがある中で、
自ら店に立ってお客様と対面するからには
パソコンで映画をみてもらうだけではなく
映画館で映画をみた気持ちになってもらわなくちゃと
改めて思うのです。

で、今年に入って月に1回は映画館で映画をみるようにと決めたのだけど、
継続のための自身のリソースはいっぱいいっぱいなので、
このブログを使って継続の緩い縛りにできればなあと考えて
いいなと思う映画があった時、感想を書いていこうかなと思っています。

いいなと思うかどうかの問題もありますが
最近は、ヨーロッパだけではなく中国や韓国、インドやベトナム、タイなどのアジアにも
質の高いと感じる映画が多くて
そんなに心配はしていません。

長々と書いてきましたが
ようするに月に1回映画館に映画をみに行って
面白いと思ったら感想を書きますねという内容です。

ちなみに先月1月にみたのは
「エンドロールのつづき」です。

さて簡単な備忘録的な感想です。
あくまで個人的な意見ですので、おかしな内容なこともあると思いますが
ご了解ください。

「エンドロールのつづき」


初期衝動においてはイラン映画の「駆ける少年」の方がよいと感じるし、
映像の光や色の表現する心象風景においてはタルコフスキーさんの方が優れているように思う。
インドの映画だけと生粋のインド映画のように滑稽なくらい陽気ななわけでもない。

ただ、意図的な光や色の表現は好きだし、
深く考えているようにみえる登場人物が、実は何も考えていないような馬鹿げたシーンが多用されていてテンポがいい。

初期衝動を表現されているように思ったが、話の構成はアーサー王物語のパーシバルのような少年が母から旅立つ物語で、
それを基にしたスターウオーズを彷彿とさせるシーンがあったりして、面白かった。
この映画の中でのオビワンは死なずに失職した後、主人公に紹介されて再就職する(笑)
また、より母から旅立ちを象徴するような繰り返される母親の料理のシーンは美しくおいしそうだった。

監督の自らの生い立ちを実話をもとに表現しているということで、
この映画自体が監督にとっての旅立ちからの帰還なのかもしれない。


以上、久しぶりに文章を書くと相変わらずうんざりするほど理屈っぽいなという話でした。

 

2023年02月05日 00:00

鎮座ドープネスさん、CHEHON(ちぇほん)さん、欲望を刺激する


2022/10/3

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(写真は千本釈迦堂さんでみた菩提樹の葉です)


たまに、今何をきいているか紹介してほしいというご希望をいただきます。
今回もまたご希望をいただきましたので紹介いたしますね。


最近は鎮座ドープネスさんとCHEHONさんをよくきいているような気がします。

鎮座ドープネスさんは昔から大好きな方で、
英語は得意ではないとおっしゃられているのにリリック(曲にのせて即興で歌われる詩(うた))が天才的で、
特にえぐいリズムキープでの即興は他の追随を許さないぐらいに素晴らしく
音源自体がほとんどなかった時代に伝説といわれていた方でした。

有難いことにYOUTUBEで音源が手に入る時代になってから
自由に楽しめるようになりました。

すべて即興です。だいたいこの後にJBさんにいってしまいます。



若手の新進気鋭のレゲエの方とバトルセッション。
若手の方がレゲエやUKグライム、豊富なライム(歌詞で韻を踏む)を繰り出してきたことに対して、
中国武術の達人のようにふわりと自由自在なフロウ(その人のリズムののり方、取り方)とリリックで返していきます。
聞き取りやすい上にダブルミーニング(一つの言葉で二つの意味を持つ)、トリプルミーニング(一つの言葉で三つの意味を持つ)を散りばめていて秀逸です。
また、相手の大きな失敗を突かずに一緒に空気をあげていくところも好きです。
この手のバトルはディス(けなしたり否定したりする)も多くて、そんなに好きではないのですが、
こういう相互作用で別次元にいくようなセッションは大好きです。



CHEHONさんは日本レゲエの一翼を担われている方で、
在日であることを卑下せずだからと言って高飛車にならずに受け入れ、
抒情を歌い上げながら、常に前向きでまっすぐな歌詞と、リズムにのりやすい歌は
料理中、仕事の準備中によく聞いています。

今まで、レゲエにはそんなに興味がなくて
CHEHONさんで言うとダブルミーニングで有名なミドリをきいていたぐらいですが、
たまたまYOUTUBEで上がってきていて
それ以来のお気に入りです。

息子と聞いています。



ハタチぐらいの学生の頃に資金もコネも力も何もない状態で商売を始めた時、
周りのほとんどの人に「出来っこない」と言われてたなあ~と思い出して甘酸っぱい気持ちになる歌です。



さて、インターネット販売をはじめて2年以上たちました。
有難いことに少しずつですがご注文をいただく中で、
先日大変うれしい言葉をお客様から頂きました。

「欲望を刺激されました」と。

お店において、僕が大切に思っているのは「作品(商品)」「時間」「空間」で、
お客様に喜んでいただける「作品」はデザイン性や面白い商品性であったり、「時間」はお客様と楽しんでお話しすることであったり、楽しい提案であったり、「空間」はお店のディスプレイであったりクリンネスであったりするのですが、
インターネット販売ではなかなかこれら3つを表現することに苦慮していたからです。

「時間」も「空間」もなかなか思い通りにならず、下手すると写真でみせるデザインであるはずの「作品」ですらうまいことお伝え出来ない中で、
「欲望を刺激された」と微差を発見してお伝えくださったお客様には感謝しかありません。

改めてお客様の感性を信じて、
微差にこだわり、
発見されるため、
少しずつ良くしていきますね。

あくまで少しずつですが…。


以上、最近のことをつらつらと。

 
2022年10月03日 09:44

本家鶴㐂本店さんに行ってきました


2022/08/31

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(写真は伊吹山の上からみた琵琶湖です)


忙しさにかまけてブログの更新をすっかりおこたっていました。
ウェブもリニューアルしましたし、少しずつですが更新していきたいと思います。

大好きな蕎麦祥さんがやめられてから
しばらくずっと蕎麦難民でした。

そこそこいいと思うところは沢山あるけど、
これは!と思える蕎麦屋さんには出会っていませんでした。

そんな時、ふと思い出したのは本家鶴㐂本店さんでした。
で、伺ったのですが相変わらずの美味しさでした。
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(表も素敵です)

朝一番に行ったのですが、いっぱいで少しならばなければなりません。
並ぶのは大嫌いですが、少しなら我慢して並べるくらい大好きなお店です。

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(天ぷらと散々悩みましたが、かやくご飯とにしんそばにしました)

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(佇まいがありますよね)


以上、久しぶりですがいつものようにオチも山もない話でした…。

 
2022年08月31日 09:44

濱口竜介さんと縁起と





 

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(写真は仁和寺八十八ヶ所でみたオーブです)

 

 同時代にリアルタイムで生きておられることに感謝するしかないような大好きな人が幾人かいて、

そのうちの一人に映画監督の濱口竜介さんがいます。

(そのうちの一人のクレイトン・クリステンセンさんは少し前にお亡くなりになりました。残念で悲しいです。いずれ文章を書くかもしれません)

 

濱口竜介さんは今世界で数少ない、創発を映像化出来る方だと思っていて、

映画に面白さではなく、どれだけ心を揺らされ、絶望を味わうかを求めてしまう僕にとって

感嘆するしかない監督です。

それも全ての作品で。

 

過去の優れた映画監督たちの遍歴から考えても

昨年公開された彼の「ドライブ・マイ・カー」は最高傑作になるであろうと確信していました。

映画の中にちりばめられたオマージュと情報量が何層にもわたって表現され、別の意味が立ち上がってくる集大成を

一人ではなく誰かと一緒に分かち合いたいと

昨年、友人を誘って観に行く予定を立てていました。

しかし、ニ度ほどやむ得ない事情が重なって観に行くことを断念しました。

今年に入って、大好きな奥さんと 観に行く予定を立てましたが、結局予定が入り頓挫。

 

これは僕に何を教えてくれているのだろうかと思いながら、

次に公開された「偶然と想像」を先に観て、

戯曲のような構成や演者の映像の中での成長を味わいつつ、

あまり細かく説明すると大事なものが失われてしまうのでここまでにしますが、

大好きなシッタルダーさんがおっしゃられていた「縁起」の映像化を試みられているように感じ

ただただ、茫然とするのでした。

 

そして、まだ観ぬ「ドライブ・マイ・カー」を観ることにより一体どんな別の意味が立ち上がり、

絶望を味わいながら心を揺らされるのかと思うと

おそるおそるで楽しみにしてしまうのでした。

 

以上、「ドライブ・マイ・カー」は独りで観に行きます・・という話でした。

 


 

2022年02月09日 10:48

初代竹山さんと2代目竹山さんとプラシーボと閾値(いきち)と





 

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(写真は松尾さんの天狗さんです。今回は龍がみえました)

 

津軽三味線の初代高橋竹山さんは名前だけ聞いていたぐらいで

数年前の初代と2代目の竹山さんを取り上げる映画まで音源に触れることはありませんでした。

ただ、数年前にたまたまみた映画でその音の凄みに鳥肌が立ち、ただただ圧倒されました。

 
(初代竹山さん)

映画の内容は詳しく覚えていないのですが、

初代が物故された後、2代目を継がれた2代目竹山さんが

女性ということもあってか、

20年くらい、津軽三味線の地である青森で演奏できず、

20年ぶりに和解して青森で演奏されて、

青森の人たちに認められて拍手喝采を受けるといった内容だったように記憶しています。

ただ、最後の拍手喝采の演奏がもちろん素晴らしいのですが、

初代とあまりに違っていて、うーんと首を傾げてしまいました。

まあ、フェリーニさんとかがよくやるように、

監督さんがみる者の感情へ意図的にざわざわした違和感を感じさせようとしているのかなあと

かってに了解していましたが。


(初代竹山さん。年を重ねて表現に凄味が増されているように感じます。特に死の間際のダメな演奏をダメなまま晒しながら、そこに時間とともに命を吹き込んでいく様には感動を越えて戦慄を覚えます)

 

 

先月、百貨店イベントに伺った際に

たまたまお客様で初代竹山さん直系のお弟子さんがいらっしゃって

お話を伺う機会があったのですが、

初代と2代目竹山さんの演奏の違いの疑問をぶつけると

お弟子さんに「楽器の違いも大きいよ」

と教えていただきました。

初代の音は氷河期時代に育った木からできた津軽三味線からきていて、

木の目が詰まった独特の音を奏でるその三味線は、今ないそうです。

一方で2代目も初代に劣らず技術的に素晴らしく、

音として違うように感じるならそれは楽器だろうとおっしゃられていたのです。

あっ、いつものようにプラシーボか…と。

 

で、もう一度初代竹山さんの音源に接してみるとやはりすごい。

何度聞いても楽器を外して考えてもすごい。

彼の3歳で失明して津軽三味線を弾くことしかできなかった貧しい生い立ちや、

戦中、戦後に苦労され、

物乞いのように家々を訪ねて演奏してまわったといわれる経験からくる

何かえもいえぬ凄味が演奏にのっているような気がしてならないのです。

 

でも、2代目さんに映画の映像では僕だけかもしれないけど凄味が感じられない。

それは戦争で生死を体験しなかった僕たちや

 初めからノウハウや情報や便利を多く与えられている今の子供たちにも当てはまります。

自分ではどう変えようもない絶望であったり、死と隣り合わせの恐怖であったりがない時代というのは

生きていく上での多くのことは快適だったとしても、

表現者でもない零細中小自営業者にとっても

越えがたい壁のように感じるのです。

 

そうするとカマシワシントンさんのように

過去のジャズやすべての音楽を網羅して編集したうえで

膨大な時間をかけて、自分の音をのせていくために期待をしない努力し続け、

閾値を高め続けて、

こないことを前提としながら、

創発がやってくるのを信じるしかないという

いつもの姿勢しかないわけで…。


(2代目竹山さん。彼女にしか出せない音が感じられ素晴らしい演奏で、モダンで聞きやすいです)

 

 

これはこれで向き合わされたような

あーそうですね頑張りますよ来年も…といいたくなるような

一年最後の締めくくりとなった気がします。

 

 

 以上、今年最後もいつものようなやるせない、

言語化すると陳腐になる話しでした。

 

2021年12月29日 00:00

思い出さんと一斎さんと自画像




 

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(写真は娘が撮った嵐山の亀山さんです)

 

 またまた、最近聴いている音楽を教えて欲しいと連絡いただきました。時間配分にブログを入れ忘れて、すっかりご無沙汰しておりましたので、つれづれと少し書いてみますね。

 最近は、催事を久しぶりに復活したこともあり、何もないところから一から店づくりをする機会が増えました。

そんな時に聴いているのは

もっぱら思い出さん(思い出野郎Aチームさん)です。

たぶんベースがジャズとかソウルとかそういうものが好きなんだと思います。

他にも、思い出さんだとグダグダパーティー、週末はソウルバンド、繋がったミュージック等を聴いています。


(家でこの「アホな友達」を聴いていると、それからは子供達が「アホな友達の人達」と呼ぶようになりました‥。)

 

 で、彼らはそれぞれに、幼稚園とかテレビの美術屋さんとか別の仕事を持たれていて、音楽が生業ではなくても、本当に好きで関わっている優しい感じが好きなのです。

 

 

話は変わりますが、ちょうど個人的に佐藤一斎さんの著作の勉強会に参加していて、先日のテーマが「自画像」でした。

で、一斎さんは生まれ持った自身の自画像と、社会での自身の自画像の差が大きければ、大きいほど不安が大きくなり、お酒とか、性欲とか、ノウハウを求めるとか、安易な解決策や陰謀論などへの依存で、その不安を埋めようとするとおっしゃられているのです。

でも、思い出さんみたいに自画像の差を

好きな音楽で埋めていて、例え依存でも、依存として認識して楽しめればそれはそれでありだよなあ〜とも思うのです。

 

だからといって、中小零細自営業者の僕は

生まれ持った自身の自画像と社会的な自身の自画像がほとんど一緒で、そうすると本人は不安が少なく良いかもしれませんが、身近なまわりはすごく迷惑します。

先日も、初期衝動に生きる人間が自画像のまま行動して、迷惑をかけたような‥。

 

以上、久しぶりに書いても、やっぱりいつものようにグダグダとした話しでした。

 

2021年11月12日 00:00

蝲蛄(ざりがに)と蟋蟀(こおろぎ)、パンケーキと星野源さん




 

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(愛宕さんと息子、今年何とか建てた長刀鉾、月鉾です)

 

「今年も蝲蛄(ざりがに)行ってるわよね、息子さん。」

とご近所の数人のお客様に聞かれました。小学生の息子も大きくなってきて、昨年で最後かなあと思っていたけど、まだ行っているので書いてみますね。

 

いつもの蝲蛄(ざりがに)に加えて、

息子が育てているフトアゴヒゲトカゲが好きな蟋蟀(こおろぎ)も

捕まえています。

そんな備忘録です。

 

 ・昨年と同じ狩場は通用しない

・昨年と同じやり方は通用しない

・競争相手が多くなると獲物は減る

・結局どれだけ時間と情熱をかけるか

・どれだけとれるかの数ではなく、どんな獲物をどうやって取るかの方が大切

・蟋蟀(こおろぎ)はたまたま捕まえることはあまりない。コテン(フトアコヒゲトカゲ)の為に確固たる意志を持って取り組まなければ捕まえられない(だから捕まえられるのは息子だけ)

・初夏に蟋蟀(こおろぎ)を取ろうとすると限られた場所しかない

・蟋蟀(こおろぎ)は取りすぎると夜うるさい

 

 

 

 話は変わりますが最近、週末の朝、息子がパンケーキを焼いてくれるようになりました。

先日パンケーキを焼く時のBGMは以前、紹介したことのある星野源さんでした

(星野源さんの「地獄でなぜ悪い」)
  息子が幼稚園に通っていた時に一緒によくこの歌を聴いていて、

ある日幼稚園の先生が心配そうに

「息子さんが地獄、地獄という歌を歌っているのですが…」

といわれたことを思い出しました。

 

歌われている星野源さんは結婚されたそうでおめでとうございます。

ひねくれ者なので人気が出ると、

音も歌詞もキャッチーに分かりやすくなってきた気がして聴かなくなっていたのですが、

久しぶりに聴いてみるとやっぱり好きな歌だなあと思います。

サケロック復活しないかなあ。

名前を変えてシャケロックでもいいから…。

 

以上、息子のパンケーキは美味しいですよ

という話でした。

 

2021年07月31日 00:00

晩御飯づくりとコロナウイルスとペロポネス戦争後のギリシャと





 








(最近聴いている音楽を教えてほしいというお声を頂きました。そんなこと聞いてどうなの?と思いつつご要望ですので、紹介しますね。主に晩御飯を作るときにかけています。だいたいベッシースミスさん、ロバートジョンソンさん、マディーウオーターズさん、アレサフランクリンさんのローテーションで最近JBさんと在日ファンクさんが加わってきて、その影響か少し料理味付けが濃くなったような気がします…)

 

 新型コロナウィルスの繰り返す緊急事態宣言による店の時短で(越天楽、縦横無尽とも11時から15時までです)

帰宅が早くなることが続いています。

 

以前は娘と一緒に晩御飯を作ったりしていましたが、

最初の緊急事態宣言以降は学校が休みになるわけではないので

僕が一人で作るようになりました。

 

もちろん初心者ですし、急に幅を広げても手に余りますし、

最初に使用するのはフライパンと電子レンジのみ限定の料理です。

で、作るものはある程度数を重ねると自分の好みになってくるわけで、

人参をごま油でひたすら炒めて塩麴と胡麻を少し入れるとか

キャベツと豚バラブロックをひたすら炒めてとか

素材を味わうような素朴なものが多くなってきます。

 

 

歴史好きにとって今回の新型コロナウイルスは

インターネットという少し前の社会変革とはまた違った、

社会構造がやむにやまれず変わっていくような、

ペロポネス戦争後のギリシャ末期に立ち会っているような既視感を覚えます。

 

もちろん商売や生活の変化においての不安感は前提としてありますが、

それよりも起こったことを陰も陽もすべて味わい尽くしたい欲望をより強く感じています。

 

大好きな易経でいうと起こっている状態が吉であっても凶であっても悔であっても吝であってもすべては構造でしかなく、

どう変じていくかの観と、自身がどうあるかの深堀りが大切であったりします。

ただ、その必要な観や自身の存在に対する深堀りの不足によって、

味わい尽くせないのではないかという焦燥感も日々感じています。

 

起こったことをどこまで味わい尽くせるのか?

もっと味わい尽くしたい

自身がどんな存在で、何をもって味わうのか?

という欲望や焦燥感が料理にも反映されてきているのならちょっと嫌だな~

と思う今日この頃です。

 

 

以上、味付けは一度濃くなるとそこから薄くするのはなかなか難しいですよね~

という話でした。

 

2021年06月16日 00:00

般若心経と創発と三十三間堂と





 

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(写真は三十三間堂の河津桜です)

 

般若心経は昔から大好きで

何かしら毎日ブツブツ言っています。

 

 

様々な解釈と切りとりが出来るのが面白く、

最近は最後のほうにある

「故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

というところの解釈は「彼岸に行こう」という

向こう岸に渉る創発を教えてくれているように感じ、

ということはそこに至るには

「照見」

見たくない現実を観て、

「色即是空 空即是色」

境界線を広げて(より深めると識の境が識になる、境界線を持たないことだけど)

ひたすら意図を持たない熱量を持つという行動になってくるなあと思っています。

 

 

コロナ禍での個人の生き方に置き換えるとまさにこの般若心経だよなあと感じていて、

毎年人工的に行う見たくない現実をみる作業ではなく

ひたすら悶々と掘り下げていく作業を身をもっておこなっていかざるを得ない絶望に追い込まれるだろうなあと思っていたら、

意外にも、お客様やスタッフさんや大好きな奥さんの助けもあって、

なんやかんやと過ごしていける環境で

下手をすると深めるどころかこなしがちな自分がいて、

ちょっと最近慌てて、悶々とした深堀りに突っ込んでいっているところです。

 

 

早朝に東からの太陽に照らされた観音像達が彼岸をあらわすといわれた

三十三間堂に行って、

改めて目先ではなく数年先に向けて、

意図を持たないけど膨大な熱量をもって

悶々と悶々とワチャワチャとワチャワチャと

当たり前のことを深く深く、掘り下げて掘り下げて掘り下げて、

創発という彼岸に渉ろうと決めるのでした。

 

 

 でも、彼岸に渉ろうということ自体が意図だよなあ・・という話でした。

 

2021年03月15日 00:00