晩御飯づくりとコロナウイルスとペロポネス戦争後のギリシャと
(最近聴いている音楽を教えてほしいというお声を頂きました。そんなこと聞いてどうなの?と思いつつご要望ですので、紹介しますね。主に晩御飯を作るときにかけています。だいたいベッシースミスさん、ロバートジョンソンさん、マディーウオーターズさん、アレサフランクリンさんのローテーションで最近JBさんと在日ファンクさんが加わってきて、その影響か少し料理味付けが濃くなったような気がします…)
新型コロナウィルスの繰り返す緊急事態宣言による店の時短で(越天楽、縦横無尽とも11時から15時までです)
帰宅が早くなることが続いています。
以前は娘と一緒に晩御飯を作ったりしていましたが、
最初の緊急事態宣言以降は学校が休みになるわけではないので
僕が一人で作るようになりました。
もちろん初心者ですし、急に幅を広げても手に余りますし、
最初に使用するのはフライパンと電子レンジのみ限定の料理です。
で、作るものはある程度数を重ねると自分の好みになってくるわけで、
人参をごま油でひたすら炒めて塩麴と胡麻を少し入れるとか
キャベツと豚バラブロックをひたすら炒めてとか
素材を味わうような素朴なものが多くなってきます。
歴史好きにとって今回の新型コロナウイルスは
インターネットという少し前の社会変革とはまた違った、
社会構造がやむにやまれず変わっていくような、
ペロポネス戦争後のギリシャ末期に立ち会っているような既視感を覚えます。
もちろん商売や生活の変化においての不安感は前提としてありますが、
それよりも起こったことを陰も陽もすべて味わい尽くしたい欲望をより強く感じています。
大好きな易経でいうと起こっている状態が吉であっても凶であっても悔であっても吝であってもすべては構造でしかなく、
どう変じていくかの観と、自身がどうあるかの深堀りが大切であったりします。
ただ、その必要な観や自身の存在に対する深堀りの不足によって、
味わい尽くせないのではないかという焦燥感も日々感じています。
起こったことをどこまで味わい尽くせるのか?
もっと味わい尽くしたい
自身がどんな存在で、何をもって味わうのか?
という欲望や焦燥感が料理にも反映されてきているのならちょっと嫌だな~
と思う今日この頃です。
以上、味付けは一度濃くなるとそこから薄くするのはなかなか難しいですよね~
という話でした。