京都嵐山 越天楽 縦横無尽

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社長雑記

世阿弥さんの悲しみ、一斎さんの哀しみ、或いは孫子さん





 

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(写真はリニューアルした越天楽玄関の花です。)

 

 

 

世阿弥さんが書かれた

「風姿花伝」

を久しぶりに読むと

全く違った風に読めて、

其れから

50代に書かれた

「花鏡」

80代に書かれた

「却来華」

を紐といていって、

とくに

これから全てを継がせようと

考えていた息子さんに死なれた後に書かれた

「却来華」

を読むと、

世阿弥さんの

気丈さ

深い悲しみに

涙を禁じえません。

 

佐藤一斎さんの

「言志四録」

も大好きな書で、

久しぶりに紐とくと、

中斎さんから

華山さん達から

ペリーさんまでの

時代の激動の中にありながら

自らに刻みつけるように

行動を抑制して、

全てを観て

中道を表現すること

のみに徹してきた

哀しみが伝わってきて

こちらも涙を禁じえません。

 

今年に入って、

涙したのは

この二つの書でした。

 

引き継ぐことの出来ない悲しみと

ただ観ることに徹する哀しみは

その能力が欠如している人間にとって

羨ましく

寂しく

絶望の淵を感じます。

 

そんな時に何時も

思い出すのは

孫子さんの

「奇勝なく

智名もなく

勇功もなし」

という

「ただ行くしかない」

言葉で、

今はまだ

悲しみにも

哀しみにも

出会うには早すぎて、

いずれ

絶望の淵の先に

出会うのかもしれないけれど

それでも、

前に踏み出すしかないんだよなあ。

 

 

以上、

最近読んで

泣いた本は何ですか?

とメールを頂き、

書いてはみたけれど、

「結局凡人は勇気だよ

先に何が待っていようとも」

という

陳腐で自己陶酔的な話に落ち着いて

すいません‥

という話でした。

 

2016年09月07日 00:00

ポケモンGOと蝉





 

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(写真は息子と愛宕山です)

 

 

4歳になる息子が

どこで知ったのか

「ポケモンGOって何?」

と聞いてきたので

「ゲームの事は良く分からない。

色々なものを集めて楽しむんじゃないの」

と答えると

「おいら(息子は自分の事をこういいます)、

してみたいな~」

というので、

「ゲームは良く分からないから

蝉でもとろうか?」

というと

「蝉がいい~」

となって、

暇さえあれば

蝉を取りに行くことになりました・・・。

 

回数を重ねると少しずつ気付きが出てきて

来年の夏にも行くかどうかわかりませんが

来年に向けて備忘録的な気付きを残しておきます。

 まだまだ、夏は続くので記載が増えるかもしれません。

 

・アブラゼミは比較的簡単にとれる

・クマゼミはめったにとれないのでとれると嬉しい

・ツクツクボウシの声は聞こえるけど見つけるのが難しい

・ミンミンゼミは声すら聞こえない

・セミを網に入れた後の網の返しが大切

・セミをかごに入れる時には素早く

・場所によってたくさんいる場所といない場所がある

・いない場所でどんなに頑張っても無駄

・たくさんいた場所でも次の日は少なくなる

・飛ぶときにおしっこをかけられるので素早く下がる

・大体ななめ45度ぐらいに飛ぶのでそこに網を持っていく

・男の子の狩猟本能は半端なく、何十匹でも際限なくとっていくので場所を変えてクールダウンさせる

 

 

 

以上、蝉とりの備忘録でした。

 

2016年08月09日 00:00

スターウオーズ7と中小零細自営業者の生き筋




 

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(写真は清滝で川遊びしていた時、娘が見つけた山椒魚です)

 

たぶんほとんどの方と同じように

スターウオーズは

そんなに熱心ではなく、

そこそこ知っている程度だけど

スターウオーズ7は

何だかみんな観てるみたいだし

とりあえず観てみよう

という感じで観ました。

 

で、観てみたのですが

すごく良く出来ています。

 

昔のスターウオーズを笑いたくなるような優れた技術と、

適宜見事なタイミング出てくる

過去のキャラクターの登場で
(嗚呼ハンソロ!)

好きな方がみるとたまらなく嬉しいと思います。

 

本当によく出来ています。

よく出来ているんです・・・。

 

アクションから映像から登場人物から

おそらく練りぬかれていて

良く出来ているんです・・・。

良く出来ているんです‥。

 

でも、この物足りなさは何なんだろう・・・。

 

ルーカスさん一人抜けた

この違いというのは・・・。

 

子どもと一緒に見る機会の多い

ディズニーさんの良く出来た

感情の発し所を指定されるような

マネタイズ前提の

様々な商業的映画を観ても

何も感じないのだけれども、

過去のルーカスさんの作品を知って

ディズニーさんのスターウオーズを観ると・・・。

 

まあなんと

「観」

「存在」

の欠如したことか!!

そしてこの礎石の残らなさ・・・。

 

 

有り難いことに、

これを観ることで

このあたりに

僕達

中小零細自営業者の

唯一生き残っていく

生き筋があるんだなあ

と感じさせていただきました。

 

 

以上、

なめらかなものより

ゴツゴツしたものに

ならないとなあ〜。

ほとんどの人には嫌われるだろうけど

という話でした。

 

2016年07月23日 00:00

東雲色 6月の越天楽と縦横無尽




 

6月の越天楽と縦横無尽です。


 

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6月9日 越天楽 「東雲色」

 

 

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6月9日 越天楽 「東雲色」 表

 

 

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6月10日 越天楽 「快晴 Hace buen tiempo」
 

 

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6月10日 越天楽 「快晴 Hace buen tiempo」 表 cuadro

 

 

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6月12日 越天楽 「グループ黄」

 

 

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6月13日 縦横無尽 「雨粒が 静寂の街 つくりだし」

 

 

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6月17日 越天楽 「雨のあと 紫陽花 キレイ」

 

 

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6月19日 縦横無尽 「なんとなくペア黒です」

 

 

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6月21日 越天楽 「越天楽マダムのランチ会」

 

 

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6月22日 縦横無尽

 

 

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6月24日 縦横無尽 「若冲ワールド」

 

 

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6月29日 越天楽 「雨が降る前に」

 

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6月29日 越天楽 「雨が降る前に」表

 

掲載の商品は

お問合わせいただければ

在庫があればお送りも出来ます。
(無いことが多いですが・・・)

ご希望の方はご連絡くださいませ。

tytrade@pop02.odn.ne.jp

 

 半年~一年ぐらいは続けようかと思っております。

 

2016年07月11日 00:00

閾値を高める


 

 


(サックスがカマシワシントンさんです)

 

 

最近のJAZZで

「スターバックスに流れているようなJAZZはつくらない」

と言っていた

フライングロータスさんが苦手で

だからといって

スターバックスで流れているようなJAZZは嫌いだし、

いわゆる一昔前と言われるコルトレーンさんあたりしか好きではないのですが、

最近のJAZZは

面白いと聞いていながら

いまいち手つかずでいました。

 

スイングジャーナルという雑誌で

中期以降紹介されていたようなJAZZが、

JAZZを駄目にした

と思っていて、

休刊になった時は

時代が変わるなと楽しみにしていたのですが

その楽しみにも関わらず

新しいものを受け付けられない自分に

うんざりもしていました。

 

そんな中で最近、

どの雑誌か忘れてしまいましたが

「カマシワシントンさんいいよ~」

というコラムがあって

「へー」と

聞いてみると

まあなんと深淵な音でした。

 

新しくもなく、

古くもなく、

彼だけの音なんです。
(上手いこと表現できませんので聞いてみてください)

 

彼の音を聞いていると

フライングロータスさんの文脈も

少し理解できてくるような気がします。

 

僕たちの時代は結構恵まれていて

音楽を聞くにしても、

映画を見るにしても、

哲学を知るにしても、

既存の知の量が少なく

適度な努力で

十分に満たされる幸せな時代でした。

 

でも、カマシワシントンさんの時代あたりから

既存の知が閾値(いきち)を超えて

1人の人間では扱いきれない量に

転換したように感じます。

 

哲学では、

人間は閾値を超えると

情報を減らして身の回りの小さい世界にしか

関心を持たなくなると言われますが、

同時代のほとんどの人達が

閾値を超えて

欲望が薄くなり、

世界が細分化して

断絶していく中で、

カマシワシントンさんは

閾値を高めて

表現をされているのだなあと。

 

これも何の引用か覚えていないけれど

一昔前は

ミュージシャンには

酒と女性とドラッグがつきものだったけれども、

カマシワシントンさんやフライングロータスさん達同時代の仲間内での合言葉は

「昨日、何時間練習したか?」

すなわち一日のどれくらいを

閾値を高める為に使ったか?

ということでした。

 

既存の知の量が多ければ多いほど

閾値を高めるのには時間がかかります。

 

彼らは、既存の知を編集したうえで

自分の音をのせる為に

膨大な時間を

他の全てを犠牲にして

捧げているのです。

 

こうすれば上手くいくというような

安易なノウハウや

音楽でいう

酒や女性やドラックのような

分かりやすいポーズが

ますます通用しなくなってきて、

閾値を高めるためには

地道で膨大な時間が必要だという

厳しくて平等な時代になってきた今、

さて、

自分の子供たちを考えたら・・・。

 

 

以上、子供たち頑張れよ~、

もちろん自分も頑張らなくては・・、

という絶望的だけど

凡人には福音だなあという話でした。

2016年06月18日 00:00

変な自分と氷の花火




 

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(写真は危ない状況だったので一夜だけ保護してお母さんに返したカワラヒワの雛です)

 

 

大好きな岡本さんが

初期衝動を表現していていーよーと

強くおすすめされていたのですが、

なかなか京都では上映がなく

やっと京都シネマさんで上映が決まったので、

大好きな奥さんと

山口小夜子さんのドキュメンタリー映画

「氷の花火」を

観てきました。

 

小学生の娘に話していた

「生まれたままの変な自分」

を全力で世界に投げつけた

素敵な女性でした。

 

世界はトレードオフで

何かをすると必ず何かを失うのだけれど、

山口小夜子さんは

「生まれたままの変な自分」

を世界に投げつけること以外

何も求めず、

他の全てを失う代わりに

全力で

「生まれたままの変な自分」

を世界に投げつけて

自分の人生を生ききった方でした。

 

僕には家族があり、

全ての時間を

「生まれたままの変な自分」

に捧げることはできないけれど、

自分の中にある

できる限りの時間を

「生まれたままの変な自分」

に費やすことに

意図的になるよう

決意させてくれる

良い映画でした。

それによって失うことになるものを

覚悟することを含めて。

 

 

また、初期衝動の欲望を

貫き通す人間は

こんなにも美しいのかと感動させてくれる映画でもありました。

 

最後に出てきた監督さんの

「彼女はもがきながら丁寧に生きた」

という言葉は、

中小零細自営業者の僕にとっては

「足掻きながら丁寧に生きろ」

というメッセージに感じ、

結局はいつものように足掻くのだけれど

丁寧に生きぬくことの意味を

改めて考えさせられるのでした。

それは 日常、

自分で決めたことは

どんなに小さなことでも

妥協しないということなんだよなあ〜。

 

 

以上、美しい表現を

僕が言語化すると

どうしてこんなに

陳腐になるのだろう、

という話でした。

 

2016年05月26日 00:00

僕たちは何を失うのか


 



 

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 (写真は出雲さんの後にやっといけた美保さんです)

 

 

昨年は忙しすぎたり、

雪が降ったりしていけなかったのですが

毎年一度

お伊勢さんと同じように大切な

通過儀礼として

出雲さんに行きます。

 

お伊勢さんを「陽」

とすると

出雲さんは「陰」

といわれていて、

陰陽の世界に生きる

東洋人の一人として

行くたびに

色んなことを考えます。

 

エネルギーの塊のような

世界とつながっているような

子供たちを見ていると、

キラキラして

美しく、

得ることしか考えない

「陽」の時期を

眩しく

うらやましく思います。

 

一方で

少なからず商売を続けていくと

僕たちが考えるのは

「それをすることで何を失うのか?」

という「陰」のことで、

何かをすることは必ず何かを失うこと

すなわち得ることは

時間もお金も資源も

失うこととのセットで、

こうして来ている

社寺仏閣のお詣りですら

感謝や供え物とお願いごとの

贈与交換だよなあ

といったことを考えてしまいます。

 

孔子さんは

「50にして天命をしる」

とおっしゃられていたけど、

中小零細自営業者の

僕達にとったら

天命とは

失うことを

最小限にすると

考えた上での行動で、

そうすると

限られた時間と

限られた資源で

すなわち自分の持ち分で、

 淡々と深く続けていくことしかないなあと・・・。

 

で、結局これは

いつものように

「慎独」

だなあ・・・。

 

と、いうようなことを

つらつら考えながら

昼も夜も

陽性の食べ物である

蕎麦

を頂くのでした。

 

 

以上、やっぱり出雲の蕎麦は美味しいなあ、

特に荒木さんの蕎麦が好きだなあ

という話でした。

 

2016年05月22日 00:00

自由についてのエトセトラ





 

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(写真は玄関で孵ったカマキリです。)

 

どこに向かっていく途中なのか

覚えてないけれど

小学生の娘

車に乗っていて、

僕が運転して

娘は助手席に乗っていたのですが、

娘が突然

「ちゃん(僕は娘にこう呼ばれています)、

自由って何?」

と聞きました。

僕は説明しようとしましたが、

うまいこと言えず、

「今は上手いと言えないから、

一度良く考えて

明日言うね」

と、娘に伝えました。

 

次の日、

沢山の宿題を終わらせて、

やっと自分の好きに遊べる時間になった

娘を捕まえて、

「昨日の自由の話だけど

ちゃんが思うに、

人は生まれた時に

偶然与えられた

「自分にしかない変なところ」

から出発するのだけれど、

世界は色々大変で

「変な自分」

のまま大人になって

生き続けるのは難しい、

それでも

「変な自分」が

「変な自分」で

居続ける為に、

お金を稼ぐことや、

勉強することや、

道徳や哲学なんかを

武器にして

「変な自分」

を世界に投げつける。

生まれたままの

「変な自分」

でなるべくいる

「義務」が、

自由かなあと

ちゃんは思う」

と、娘に言うと

娘は

「ふうん、分かった。有難う。

ちゃん、変なところ多いもんね」

と、言って

何処かに

行ってしまいました‥。

 

以上、

中小零細自営業のオヤジは

一方的かつ変人だ

という話でした。

 

2016年05月07日 00:00

友人と大きな物語の死


 


 

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(写真は嵐山の山と空との境界線です)

 

今回もかなり個人的な内容です。

読みたい人だけ読んで下さいね。

 

先日たまたま会った共通の知人から

昔の友人の死を知りました。

ずっと会っていなかったけど

当時は

大きな物語に生きようとした

男でした。

 

共通して

司馬遼太郎さんと

幕末が好きで、

思春期にあった

天安門の事件から

「俺が世界を変える」

と、革命のために中国に行こうとして、

中国の学校を調べて

入学希望の手紙を沢山送って

一通も返事がない程度で、

「世界は変わる。だから俺もそれにあわせて変わる」

とあっさり変節し、

常に現実的で

後ろ向きに生きてきた

僕と違い、

海外で成功した後

日本に帰国し、

大きな物語に基づいて

一攫千金と革命を

夢見て

生きていた男でした。

そして、その後

彼の大きな物語は

破綻したとも聞きました。

 

今だと決別したあの時に、

共通して好きだった

坂口安吾さんが書かれた堕落論にある

「人間は可憐であり脆弱であり

それゆえ、愚かなものであるが

堕ちぬく為には弱すぎる。

人間は物語を選択せずにはいられない」

という一文の話をして、

ヒトラーや

幕末や

革命のような

大きな物語ではなくて、

現実的だけど

自己都合でない、

情動的だけど

自分自身が感じる

全身の物語を

話せたのになあと

少し寂しく思います。

 

でも、それすら

ただの僕の感傷で、

破綻していようと

完結していようと、

彼は彼の人生を

生ききったに違いない

とも思っています。

 

彼の死を聞き、

僕は僕で

後ろ向きで

現実的で

情動的な、

物語のない

人生を

諦めずに生ききろうと、

改めて

決めた日となりました。

 

 

合掌。

 

2016年05月02日 00:00

禅の和尚とおなら


 


 

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(写真は松尾さんの山吹です)

 

商売をはじめた時から

ずっと探していて

いまだに出会うことのできない人に

禅の和尚がいます。

 

見たくない現実を見るのが苦手な

僕にとって

見抜いてくれる

理想の

禅の和尚のような存在を

ずっと探していました。

しかし、いまだに見つかっていません・・・。

 

 

2016年も4月になり

小学校に行っている娘の学年も変わり、

娘が持って帰ってきた

新しい担任の先生の文章に

アインシュタインさんの言葉が書いてあって、

フロイトさんがいう

「超自我」

についての文章だったのですが、

大好きな奥さんに

「新しい先生、超自我の事を書いていていいね~」

と話していると、

「ふ~ん、まあ嫌いではないけれど」

と言いながら

全く関心のない様子でした。

 

しばらくして

別の時に

「超自我」

の話をしていたら、

どうも僕の滑舌が悪く

「超自我」

「鳥獣戯画」

と聞こえていたようで、

説明すると

今度は

「超新星」

に聞こえたらしく、

「どうでもいいわ」

と一喝されました。

 

それでも

「超自我」

について分からないかもしれないと

しつこく
(そういう性格なのです)

「子供のころに

人前でおならをしても平気な家庭と

絶対にしてはいけない家庭があるだろう。

してもしなくても

どちらが正しいではなく

家庭で正しいと与えられたもの

それを「超自我」というんだよ」

と言うと、

奥さんは

「小難しい言葉を使いたがる

あなたの説明が

おならのようで、

ただ単に

俺知っていると

言いたいだけなんじゃないの」

と見抜くのでした。

 

 

以上、禅の和尚は

探さなくても

いいのかもしれない

という話でした。

 

2016年04月27日 00:00