京都嵐山 越天楽 縦横無尽

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社長雑記

蝉と蝦と蜊蛄(ざりがに)





 

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(写真は比叡山と息子です)

 

 

一昨年、書いた蝉を獲る備忘録を書き、

昨年、蝦や川魚を獲る備忘録も書きましたが、

今年は蜊蛄(ざりがに)がメインになってきたので

来年の為に蜊蛄を獲る備忘録を書きます。

 

この夏も6歳の息子と暇さえあれば蜊蛄(ざりがに)を獲りに行っているのですが、

いくつかコツや注意点があるので記録に残します。

 

・蜊蛄(ざりがに)は後ろに逃げるので後ろに網を持っていく。

・網で獲るときは、いる場所ではなく動いた先に網を持っていく。

・落ち葉等の吹き溜まりを網ですくうと一網打尽にとれることがある。

・その際引き上げた落ち葉は置きっぱなしにせずに必ず綺麗にする。

・2018年夏の暑さは異常なので活動は4時以降。

・獲れる場所は決まっているので誰かと鉢合わせしたら譲る。

・スルメでの釣りは蜊蛄(ざりがに)が沢山いる場所でのみ有効。

・その場合は入れ食いで一度に数匹獲れる。

・釣りは釣り上げて獲るでではなく、スルメに食いついた蜊蛄(ざりがに)を網すくう。

・スルメで釣る場合、アタリメだと良いが辛口アタリメでは釣れない。

・男の子の欲望は際限がないので一日20匹まで。

・結局網ですくって一網打尽より、釣りで入れ食いより、一匹に狙いを定め予測して網で獲れた時が一番気持ちが良い。

 

 

 以上、蜊蛄(ざりがに)獲りの備忘録でした。

 

2018年03月27日 00:00

春の比叡山にて





 

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(写真は娘が撮った根本中堂から文殊楼に至る石段です)

 

 

大好きな奥さんがなんだか比叡山に行きたい

と言うので、

家族で比叡山に行ってきました。

 

たまたま、東日本大震災の法要を

阿弥陀堂でされていて

末席ながら参加させていただいたのですが、

座主さんや阿闍梨さんがいらっしゃる中で

一人の老師さんが、

お坊さんは泣くことは許されないのだけど

と、おっしゃられながら亡き被災者の方々を悼み慟哭された姿をみて、

深く深く心を揺さぶられました。

 

当たり前のように決まっていることでも、

それは周りからのルールだというただの認知で、

認知的不協和にとらわれない自身の発露は人を動かすのだなあと

自問しながら帰路につきました。

 

で、帰宅して、

これはもしかして、と

三年前から毎日読んでいるのに

理解が至らず

まだ、5ページぐらいしか進んでいない

摩訶止観を

改めて集中して読んでみたのだけれど

相変わらず理解できず、

そんなに甘くないよなあ〜

と思うのでした。

 

 

以上、少し調子にのってしまったなあ

という話でした。

 

2018年03月14日 00:00

越天楽のオープンについて





 

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(写真は嵐山で咲いていた雪中花です)

 

いつも感謝しております。

年始のご挨拶でもお伝えしておりましたが

店をより濃く充実させるために

越天楽をお休みいただいております。

 

一部のお客様にいつオープンかを

お問い合わせいただいておりますが、

3月下旬ぐらいにオープンする予定です。

 

お休みは不定期ですので

ご予定を持ってお越しいただく際は

必ず事前に縦横無尽(電話075-881-4746)

までご確認ください。

 

この春は代表である河野もかなりの割合で店におりますので

ぜひお越しくださいませ。

 

2018年02月27日 00:00

機心(きしん)なく





 

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(写真は月読さんです。
個人的には今年一番紅葉が綺麗だったのは月読さんと愛宕さんの一の鳥居辺りだったと思っています。)

 

大好きな奥さんが
半笑いで
「まだ続いているの。すごいね~」
とほめてくれていますが、
古典の学習を相変わらず続けています。

 

その中で荘子さんを掘り下げている時に
外篇といわれる天地篇の中に「機心」
についての話があって
少し長くなりますが書きますと、

昔、孔子さんのお弟子さんの子貢という人が旅をしている時に、
一人のお百姓さんが畑で働いているのを見つけた。
その人は、畑に水をあげるためにわざわざ掘った井戸の中まで下りて水を汲んでいる。
そして甕に水を満たすと、それを持ち上げて畑へ持って行く。
畑に水をあげる苦労は大変なものだった。
子貢さんは見かねてそのお百姓さんに言った。
「それは大変骨の折れることですよ。”ハネツルベ”を知っていますか?
それを使うと作業はすぐに終わってしまいますよ。それを使えばどうですか?」
するとお百姓さんは言った。
「それはどんなものなんだい?」
そこで子貢さんは”ハネツルベがどんなものか説明した。
するとお百姓さんは言った。
「それはわしも知っている。しかし機械を使うと必ず機事(機械に頼る事)が増える、機事が増えれば機心(機械に頼り自己都合でしか考えなくなる心)というものが生まれる。
それは力を省いて功を多くしようという心持ちだ。わしはそれが嫌いだ。
この機心が浮かぶと心の純粋性が乱れる。これは道に反する。
ものに制せられるいうことは、わしの好まぬところだ。」

という話です。

 

11月に入って嵐山も人通りが増え
それにしたがって僕も店に立つことが増えました。 
そんな店に立つ時ことが増えてきたときに
心に刺さるのががこの「機心」の話で
安易なノウハウを探したり、過度な売上に対する期待は
まさに「機心だよな~」と心に留めようと思うけれど
実際に現場に立って
店の前を歩いている多くの人たちを見ると
浮足立ってきて、
「機心」にとらわれ
中々純粋な心でお客様に向かい合うことが難しく
日々どうやって
「機心」をなくすことは無理にしても
少なくするにはと試行錯誤しています。

そんなことを思っていたら鈴木大拙さんも「機心」について書かれていて、
大好きな岡本さんも「機心」についてお話しされていて
相変わらずのシンクロニシティー
追いつめられてちょっとまいりながら、
日々を過ごしています。

 

分かってることと
実際にすることとは
中々つながらないんだよな~。

 

 

以上、ブログを初めた時に
一か月に一度は何らかの更新をしようと決めていたのですが、
すっかり忘れていて
あわてて書きました……。
という話でした。

 

2017年11月30日 00:00

更新する





 

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(写真は子ども達ととってきて、うちで羽化した蝉です)

 

 

小学生の娘が、
夏休みの宿題をしているのですが、
まあ見事な質の低さとやっつけ仕事で、
とりあえずやったという辻褄はあわせている状況です。

 

 それに対して親として
「一つ一つが大事なんだよ。いまのやり方が大人になってからの自分のやり方になるから」
なんて、分かったようなことをいうけれど、
結局、自分に返ってくるブーメランとなっていて、
子供の頃から勉強も仕事もとりあえずでこなしがちな、
ニーチェさんがいう永劫回帰の円環にいることを
思い知らされています。

 

 

先日大好きな奥さんと
大好きな笹川美和さんのコンサートにいってきて、
相変わらずいつもの感じなのだけど
少しずつ更新されていて、
 全てを変えるのではなく、
少しずつ、少しずつ
永劫回帰の円環からズレていく感じが
いいなあ〜と感動していました。

 

 

一方で、昨年
すごく楽しみにしていたボブディランさんのコンサートで
更新を感じずに、
悲しくなって3、4曲でホールを出て、
奥さんにただの自意識過剰だと大目玉をくらったのですが、
ただ的外れな手拍子やシナトラさんが理由ではなく、
やはり更新をやめてしまったのだと感傷的になってしまいました。
(そのあとノーベル賞を受賞され、
5万人ではなく50人を満足させることの方が難しい」という内容の
素晴らしいスピーチ(代理人ですが)には相変わらずだと感動しましたが。
→スピーチの日本語版は?とのご希望を頂きました。
こちらをどうぞ。 ローリングストーン誌さんのものです。)

 

 

その様なわけで
娘は宿題を
僕は仕事を
やっつけ仕事は仕方ないとしても
その円環から
少しずつ、少しずつズレていく様に、

大瀧詠一さんの様に徹底はできないにしても
永劫回帰を少しずつずらす方法を話して
更新していこうねと娘に伝えると、

娘は
父と同じというのが嫌らしく、
俄然、宿題を質高くするようになりました‥。

 

 

以上、最初からやれよ〜。

という話でした。

 

2017年08月17日 00:00

蝉と蝦





 

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(写真は清滝と娘と息子です。清滝の時は泳ぐので水着をきます。)

 

 

以前、書いた蝉を獲る備忘録が

なぜか凄く評判がよく、

あまり評判がよいと書く気が失せるのですが、(みんながいいというと信用しなくなる嫌な性格なのです)

それ以上に忘れっぽいので、

来年の為に蝦や川魚を獲る備忘録を書きます。

 

この夏も5歳の息子と暇さえあれば蝦や川魚を獲っているのですが、(蝉にはまだ早いので)

いくつかコツや注意点があるので記録に残します。

 

 

・ウシガエルのおたまじゃくしはからだの大きさに似合わず素早い。

・網は昆虫用で間に合わせるよりも、川魚用にする方よい。結果が違う。

・小川で泳ぐ少し大きい小魚は網では無理。

・草や茂みの下をゆっくりと底から網ですくうのが一番効率良い。

・そうすると必ず蝦が、たまにザリガニが獲れる。

・ザリガニがとれたら嬉しいが、ドジョウが獲れるともっと嬉しい。

・さらにナマズが獲れると雄叫びが出るくらい嬉しい。

・必ず何か獲れると分かった後の男の子の狩猟本能は異常。飽くことなく取り続ける。

・だから場所を変える。

・川の流れが早いところよりも、ゆっくりした流れのところ、池などのほうが収穫率が高い。

・メダカではなく、もっと小さいジャコのような魚はすぐに死ぬので獲らずに逃がしてやる。

・思った以上に子供の力は強いので、体をおさえていてもタイミングが合わないと一緒に池に落ちる。

・池に落ちてズクズクのドロドロになった後一緒に家に帰る途中、知り合い会うのは気まずい。

・知り合いに会っても、知り合いがズクズクのドロドロに触れないので、自分から「いやあ池に落ちまして」と説明して相手を微妙な顔にさせるのはもっと気まずい。

・一度池に落ちると息子が「いっしょに池に落ちて楽しかったなあ〜」と毎回一緒に落ちようとするので注意が必要。

・しばらく続けていると、賢者(主におじいさん) や博士(主に少年)のような存在が現れて、色々教えてくれるので、彼らにお礼のジュースをごちそうする為小銭を常に持ち歩く。

・賢者や博士に教えてもらったポイントで、確実に収穫しながら、常に新しいポイントを探すと獲れなくてもテンションが下がらない。

 

 

 以上、蝦及び川魚獲りの備忘録でした。

2017年07月01日 00:00

シンクロニシティと風姿花伝





 

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(写真は木嶋さん(蚕ノ社)の三柱鳥居です。)

 

 

ユングさんはそんなに好きではないのですが、
彼の言葉には好きなものが多いです。
その一つが「シンクロニシティ」で、
起こったことがつながっている時は、
良い意味でも悪い意味でも集合無意識にフックしていることが多いといった意味です。
(詳しくは自分で調べてみて下さいね)

 

 

毎年9月ぐらいにしている「観のワーク」を今年は7月にしようと思っていて、
ということはそろそろ下準備をしなければいけないのですが、
なんせシンドイ作業ですので一向に進みません。
やっぱり9月ぐらいでいいよなあと甘えてしまいます。

そうすると、なぜかここ最近、
7月にやれというようなシンクロニシティが起こる起こる‥。
スケジュールにも起こり、
店のスタッフさんにも防衛の危険性を説く必要が起こり、
易の卦にも出たり、
とまるで取り囲まれるような状況になってきました…。

 


本を読むのは昔は多読で速読だったのですが、
古典を学び出した頃からいくつかをゆっくり理解しながら読むように変わってきました。
もちろん集中力がないので、少しずつしか進みません。
(先日調子にのって久しぶりに朝ドストエフスキーさんを何の補助もなしに1時間くらい集中して読んだら、
脳がやられて、その日1日ポンコツになりました‥)


その中の一つの風姿花伝は、何度か読んでいますが良い本ですし、
少しずつ理解できれば進み、できなければ止まるという感じで読んでいました。
ただ、「音曲は体なり、風情は用なり」という一文がどうしても理解しきれず、
1か月くらい足踏みしていました。


で、昨日ふとしたきっかけで、頓悟したのですが、
それは「認識なしには行動はない」という
風姿花伝の底流にある心そのもので、


ようするに極めつきのシンクロニシティでした‥。

 

 

というわけで、これから3、4か月僕の機嫌が良くない時は、
見たくない現実をみて苦しんでるんだなあとご容赦下さいね。

 

 

シンクロニシティからヌミノーゼにいければ嬉しいんだけどなあ。
(こうやって書いてる時点で無理だろうけど)

 

 

以上、外堀も内堀も埋まってしまったなあ‥

という話でした。

 

2017年06月19日 00:00

鴨長明さんと必要条件




 

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(写真は朝日と渡月橋です)

 

 

長いこと商売をしていると

考えることはいつもエントロピートレードオフの事で、

また加えて必要条件を考えます。

何かをしようとすると必ず必要な条件があるということです。

それはお金であったり、時間であったり、人であったりして

それがなければ上手くいかないという条件です。

 

ただ、必要条件を考えますと書きながら

実際は考えられたらいいなあという

希望であって、

現実の中小零細企業のオヤジなんかは

そんなこと考えもせずに

思いついたことをして、

するだけではなく、

突っ込んだ上にやりすぎて、

危うくすべてが吹っ飛びそうになるということが

多々あります……。

 

そんな時何とかなってきたのは

大好きな奥さんのフォローと

わずかでもケチケチ積み上げてきたバッファだけで、

つい最近も

必要条件を無視した

全てが吹っ飛びそうな事案がございました……。

 

鴨長明さんの方丈記でしるされている

「ゆく川の流れは絶えずして~」

という文章の美しさ、

全てを4畳半で生活できるというスタイルは

20代頃の憧れでした。

 

また、ソローさんの

家から家具から食べ物から

全てを自分で作り上げる

「森の生活」

にも憧れていました。

 

20代の頃はしっかり稼いで

さっさと引退して

鴨長明さんやソローさんのように

それこそちょっと前にはやった

早期リタイヤして

投資的生活をしながら

人生を楽しむんだと思っていました。

 

ただ、年月を重ねて気づいたことは

早くにリタイアして人生を楽しむには必要条件があり、

自分はそれを満たしてないという現実でした。

 

鴨長明さんのような文章や琴の名人でもなく、

ソローさんのような博学で自給自足の達人でもなく、

ただただ、商売が好きなおっさんでしかないということです。

 

早期リタイアには趣味であったり

遊びであったりを楽しみ、

しかもそのレベルが高いことが必要条件で、

それには膨大な時間か高い能力がいるのだけど、

それらが一切ない僕は

「ああ、大好きな手塚治虫さんのように、死ぬまで働き続けるんだなあ」

と最近は思っています。

 

ただ、手塚治虫さんのように死ぬまで働き続ける必要条件も結構シビアで、

「お客様に面白いと思っていただけることを提供し続ける」

必要とされる=必要とされるような面白いものを提供し続ける=売り上げが上がり継続のための利益をえる

という条件を満たし続けなければならないわけで、

そうするといつものように、

くだらない処世訓のように、

「日々、良き筋で地道に努力する」

ということになるのでした。

 

 

以上、日々の積み重ねしかないよな~

しかも良き筋で……。

この良き筋というのがなかなかなあ〜。

という話でした。

 

2017年04月24日 00:00

恐竜の美しさ、中小零細自営業者のみにくさ





 

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(写真は住吉さんの楠です)

 

 

年に一度は2月に

福井の恐竜博物館に行くのですが

今年は家族の都合で行くことができません。

恐竜が大好きな5歳の息子に

「今年は別のところに行かなければならないから行けないよ」

というと

「分かった~。」

と物悲しそうな顔で答えました。

 

「嫌だ~。」

とお騒ぎするのならコンコンと説明するのですが、

物悲しそうな顔をされると

こちらとしても何かしなければと思ってしまって、

時々行く住吉さんの近くにあって

日帰りでいけて

恐竜が展示されている

大阪の自然史博物館へ行ってきました。

 

 

福井でも、大阪でも

恐竜を見るたびに

その凄さに圧倒されます。

生態、機能、進化すべてを

環境に最適化していった姿には

言葉にできない生命の美しさを感じます。

 

ただ、そんな美しい恐竜が

氷河期になって全滅したという事実には

寂しさと恐ろしさを感じてしまいます。

部分最適もすぎると

生命として圧倒的に美しくはなるけど環境が変わった瞬間に全滅するということですし。

 

どちらの博物館にもある

人間の祖先、哺乳類の模型は

まあなんと醜く、

そんな醜い彼らが

環境が変わる氷河期の谷を生き延びたのは、

脱同一化しながら

何でも食べて、

余計な進化をしないことにより

エネルギー効率が良くし、

環境に適応しすぎなかったからと言われています。

 

これは今、氷河期のような状況に立たされて

それでも何とか生き延びようとする

僕達中小零細自営業者と一緒だなあ~

と複雑な気持ちになります。

 

どんなに醜くても

氷河期の谷を越える為にバッファに固執して

できることは何でもする、

しかも自分のリソースにないものは

儲かりそうでも手を出さない。

 

平たく表現すると

利益と資産を守りながら、大きなことをせずに、地味なこと試して改善し続ける……。

 

よくある処世訓のようで、かっこよさのかけらもないよなあ~。

 

 そんなことを思いながら

帰りには住吉さんの楠珺さんによって

招福猫を一つ増やして

ささやかながら嬉しい気持ちになるのでした。

 

 

 

以上、「大阪も楽しかったけど、オイラやっぱり福井も行きたいな〜」と、

ニコッと笑っていう息子に負けて、

結局福井に行くんだろうなあ〜

 という話でした。

 

2017年02月10日 17:09

この世界の片隅に





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(写真は嵐山で大雪の日に、家族が作った恐竜のカマクラです)

 

 

あまり映画をすすめない友人が

昨年、みてくれとすすめてくれたので

昨年は忙しくてみることができなかったけど

今年に入ってやっと大好きな奥さんと

「この世界の片隅に」

をみてきました。

 

今でも少し余韻が残っているくらいの

素晴らしい映画でした。

 

映像の広がりや

音楽の美しさ

声優さんの表現力

細部へのこだわりはもちろん、

それら贅沢な素材を

引き算して使われていて、

上質な和食を頂いたような

満足感を得ることが出来ました。

 

また、見終わった後に

喜怒哀楽ではない

言語化できない

感情をまとめることのできない

感動を頂いたのも久しぶりでした。

楽しかったり、悲しかったり、怖かったりではなく

「これはなんなんだ?」

というちょっと呆然とした感じです。

 

他の人の感想はみてないので

わからないですが、

どんな映画かと問われれば

友人が伝えてくれたように

「まあ、とにかくみてみてください」

とすすめたくなるような

はじめての映画でした。

 

 

 

 

以上、「まあ、とにかくみてみてください。」

という話でした。

 

2017年01月12日 00:00