機心(きしん)なく
(写真は月読さんです。
個人的には今年一番紅葉が綺麗だったのは月読さんと愛宕さんの一の鳥居辺りだったと思っています。)
大好きな奥さんが
半笑いで
「まだ続いているの。すごいね~」
とほめてくれていますが、
古典の学習を相変わらず続けています。
その中で荘子さんを掘り下げている時に
外篇といわれる天地篇の中に「機心」
についての話があって
少し長くなりますが書きますと、
昔、孔子さんのお弟子さんの子貢という人が旅をしている時に、
一人のお百姓さんが畑で働いているのを見つけた。
その人は、畑に水をあげるためにわざわざ掘った井戸の中まで下りて水を汲んでいる。
そして甕に水を満たすと、それを持ち上げて畑へ持って行く。
畑に水をあげる苦労は大変なものだった。
子貢さんは見かねてそのお百姓さんに言った。
「それは大変骨の折れることですよ。”ハネツルベ”を知っていますか?
それを使うと作業はすぐに終わってしまいますよ。それを使えばどうですか?」
するとお百姓さんは言った。
「それはどんなものなんだい?」
そこで子貢さんは”ハネツルベがどんなものか説明した。
するとお百姓さんは言った。
「それはわしも知っている。しかし機械を使うと必ず機事(機械に頼る事)が増える、機事が増えれば機心(機械に頼り自己都合でしか考えなくなる心)というものが生まれる。
それは力を省いて功を多くしようという心持ちだ。わしはそれが嫌いだ。
この機心が浮かぶと心の純粋性が乱れる。これは道に反する。
ものに制せられるいうことは、わしの好まぬところだ。」
という話です。
11月に入って嵐山も人通りが増え
それにしたがって僕も店に立つことが増えました。
そんな店に立つ時ことが増えてきたときに
心に刺さるのががこの「機心」の話で
安易なノウハウを探したり、過度な売上に対する期待は
まさに「機心だよな~」と心に留めようと思うけれど
実際に現場に立って
店の前を歩いている多くの人たちを見ると
浮足立ってきて、
「機心」にとらわれ
中々純粋な心でお客様に向かい合うことが難しく
日々どうやって
「機心」をなくすことは無理にしても
少なくするにはと試行錯誤しています。
そんなことを思っていたら鈴木大拙さんも「機心」について書かれていて、
大好きな岡本さんも「機心」についてお話しされていて
相変わらずのシンクロニシティーに
追いつめられてちょっとまいりながら、
日々を過ごしています。
分かってることと
実際にすることとは
中々つながらないんだよな~。
以上、ブログを初めた時に
一か月に一度は何らかの更新をしようと決めていたのですが、
すっかり忘れていて
あわてて書きました……。
という話でした。