京都嵐山 越天楽 縦横無尽

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BLUE GIANT


 



 


(ジョン・コルトレーンさんのカウントダウンです。
ヘッドホンかイヤホンで大音量で聞いてください。
ぶっ飛びます。)

 

 

書籍は難しくて良くわからないので

おすすめの漫画があれば教えてほしいという

メールを頂きました。

 

僕に聞いて参考になるのだろうかと

思いながら

一応ご紹介しますね。

 

「BLUE GIANT」

 

石塚真一さん作で

ジャズを志す

男の子の漫画です。

 

昔、シャーマンが雨乞いのために

火を焚いて、

一生懸命焚いて、

そうすると蒸気として昇って行って

雲になり、

やがて雨になる。

いわゆる

「一念」

といわれるものについての漫画です。

 

石塚さんは

「岳」

という

登山についての作品もあり、

この

「一念」

を描かせたら

他に類を見ない方だと思います。

 

周りは無理だと言おうが

何と言おうが

わが道を行き、

やがて

雨を降らせる。

その間にはすごく長い長い時間がある。

 

降らないだろうとバカにする周りに関係なく、

降るかもしれないと応援する周りにすら関係なく、

自分だけがいつかは降る雨を

か細く

必死に信じながら。

 

 

栃木のJAZZBAR近代人のマスター

が言っておられた

「JAZZは大音量で聞きな」

ということも書いてあったりして

好きな漫画の一つです。

 

 

マイルス・デイビスさんが

晩年ヒップホップを取り入れたり、

大好きな山下洋輔さんも

病床の後に

今までのすべてを否定して

新しいものに向かっていったように、

JAZZは

自分がJAZZと決めた時点で

すべてがJAZZになるという

常に新しいものを入れて変化する

特異なところと、

古典落語のように

一つテーマを

色んな人がその人なりのやり方で表現するという

芸能的な

2面性を持つ面白さがあります。

 

ただ、年を取ってくると

マイルス・デイビスさんのヒップホップ化は許せても

フライング・ロータスさんの

「ユーアーデッド」

をどうしてもJAZZと認めることが出来なくなってきていて、

このあたりの葛藤が

感性を徐々に置き去りにしながら

年を取るということなのかなあ

としみじみ思います。

 

 

以上、やっぱりフライング・ロータスさんは

JAZZではないんじゃないかと

言い張りたくなる話でした。


 

2015年11月15日 00:00

「6歳の僕が大人になるまで」とバズライトイヤー




 

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(写真は昨年行ったディズニーランドで買った実物大バズライトイヤーです)

 

昔よく映画を見ていたのに

加齢のせいかほとんど見なくなりました。

最近、久しぶりに見たいなーという映画があって

それが

「6歳の僕が大人になるまで」

という映画でした。

 

映画館に行くには時間はないので

DVDを借りに行こうと

レンタルショップに

3歳の息子と一緒に行ったのですが、

タイトルをど忘れして

「えーと確か「大人になるまで」といった感じです」

と若いアルバイトの女性に伝えると

その若い女性はかなりひきつった顔で

僕と息子をアダルトコーナーに

案内してくれました・・・。

 

まあそんな苦労をして

借りた映画は

なかなか良い内容でした。

 

ストーリーや結末としたらよくある分かりやすいものですが、

映画の中で流れる

10数年間の歳月に同じ役者さんを使っていて、

役柄だけでなく役者さんを含めた成長を描いていくという手法で、

しかも、映画の中になるべく時間を感じさせるものを置かないし示さないことで

僕たちが日常に感じている

「あれ、うちの子いつの間にかこんなに大きくなったんだ」

というような時間の流れや積を

短い時間で相対化させてくれる内容でした。

 

この映画を見た後

大好きなバズライトイヤーが出てくる

「トイストーリ―」

を息子とみていたのですが、

バズライトイヤーが

この映画の時間の流れや積を一言で表現してくれていました。

 

 

「飛んでるんじゃない。落ちてるだけだ。かっこつけてな。」

 

 

 

以上、タイトルはしっかりメモしていこうと思った話でした。


 

2015年11月06日 00:00

前に進まないこと   あーでもないこーでもないの先





 

今回特に言語化しにくいものを自分の為に書いているので辻褄合わないと思います。読みたい人だけ読んで下さいね。ninnnaji88

(写真は成就山八十八ヶ所の五十三番です)

 

先日、「あーでもないこーでもない」というブログを書きまして、

「そうですよね。分かります。」というような共感のメールまで頂き嬉しかったのですが、

何だか違和感があるのでかきます(メール頂いた方すいません)。

 

あーでもないこーでもないと前に進むことをしていると、

大変ですけれど結構楽です。

前に向って頑張りさえすればいいので。

 

現象として悩ましいのは

あーでもないこーでもないとしていて、

どんどん上がり続けていると必ず平らな場所が出てくることです。

どんなに前に進もうとしても、

上に行けない時、

下手すると下がっていく時が出てくることです。

 

 

この時、前に進もうとすると何故だか、

自分の健康や家族の健康を害したり、

上手いこと行かなくなって様々なことが起こり、

八方塞りになります。

 

もともと歴史が好きで、

この様に前に進まなければならない、

こうあるべきという思考法はいつからかなあとみてみると、

どうも戦後にアメリカさんが来た時からのようです。

最近特に日本や中国の古典に意識的に触れるようになると、

みんな処し方として(この処し方としてというのも前に進むという思考法ですが‥)

全く反対の「前に進むな」と同じことをおっしゃっています。

 

「受け入れろ」

「前に進むな」

「治そうとするな」

「こうすべき、こうあるべきとは存在しない」

「諦めろ」

「手放せ」

「少しずつ」

「落ちる時は落ちろ」

「答えを求めるな」

「ただ繰り返せ」

 

 

最近家族が体調悪くなり、

それを治そうと色々術を探していますが、

それを治そうとせずに、

何故事象が起こったかを考え受け入れろということは、

今まさに目の前に起こっていて、

今までの思考の癖もあるだけに

難しく、

どうしても治そう、治そうと前に進んでしまいます。

 

 

言葉にすると簡単で、でも意味はどうしても変わって来るのだけど

「そうなんだよな〜」

を受け入れ、味わうことなんだよなあ‥。

 

 

 

そんなことを考えながら今の日本を考えると‥‥‥。

 

 

以上、やっぱり言葉は自分から離れた瞬間に違うものになるなあという話でした。



 

2015年10月26日 00:00

あーでもないこーでもない





 

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(写真は秋だけど嵐山で咲いた桜です。この木は春にも咲きます)

 

 

最近嵐山のお店に入ることが増えました。

 

 

店に入ることが多くなると

気を付けなければならない、

僕にとって恐ろしい

ただ、同じ毎日を繰り返し、

こなすということが襲ってきます。

 

繰り返しという思考省略は

人間の脳を守るための本能のようなところがあり、

考え続けるということは脳にとって負担なので、

脳は放っておくと

楽をする為に無意識に同じことを繰り返す

というパターンを選んでしまうといわれています。

 

日常、いちいち考えるのがめんどくさいので

決まったことを決まったようにすると

凄く楽です。

ただ、日常は楽してもいいと思いますが、

お店は非常にクリエイティブな時間と空間なので

楽に流されると

店にいる時間を

ただこなす、

いつもすることを

何も考えずにする、

ということになってしまいがちです。

そうすると店は澱み、なぜだか暗くなります。

 

 

考えるのではなく考え続けること

変えるのではなく変え続けること

 

 

今日はディスプレイを変え続けようと決めて

店に入って朝に一度ディスプレイを変える。

あ~良く変えた、かっこいいなあ、終わり・・・。

これ、いつもと変わらない、これではダメです。

 

天候をみて、

お客様の流れをみて、

お客様の反応をみて、

今日はこれをお勧めしたいと考えて、

あーでもないこーでもない、

今日はディスプレイをと決めたなら

ずっと変え続ける。

一回変えるのならだれでもしている。

 

 

考え続ける。

変え続ける。

あーでもないこーでもない。

 

 

以上、自分に対する戒めでした。

 

 

2015年10月18日 00:00

白隠さんと易経・ワンダーランド

 



 

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(写真は静岡に行くと必ずよる白隠さんの松陰寺です)

 

毎年、何か一つ普段しないこと

あまり仕事に関係ないことを

学ぼうと思っていて、

今年は四書五経にしようと決めて

学んでいるのですが、

一番最初に選んだ

易経が

あまりに深くて高くて

いまだ、その山の全景すら見えません・・・。

 

易を学ぶ為には

構造の理解はもちろん必要ですが

易占を避けて通ることはできません。

 

易占とは要するに占いで

占い自体がもともと好きではないうえに、

いくら自分の前意識が出てくるといっても

たまに集合無意識にアクセスできるかもしれないといっても

どうにも好きになれず、

だからと言って何かで卦を立てると(易占することです)

ついつい結果を意識してしまい、

また易の変化のノウハウに終始してしまい、

過度に意識しまいということも意識することと同じなので

卦を立てるということに関して

どうしても過剰になってしまいます。

 

しかも易の構造の底流に

「依存するな(意識するな)」

「でも結局依存してしまうだろうから依存先を選べ」

みたいな

だったら卦を立てさせるなよ

と言いたくなるような

心があり、

これをつくった人は

結構意地が悪いなあとも思ったりしてしまいます。

 

先日静岡に伺う機会があって、

行くと必ず

大好きな白隠さんの

松陰寺に寄ったり、

白隠さんの書を

読んだりするのですが、

白隠さんの書の中にも

たまに易の話がでてきたりしていて、

白隠さんは卦を立てることに対して

どうだったのかなあ

とみていたら

白隠さんは

一切卦を立てない

という箇所がありました。

 

ようするに

依存しそうなものには

手を付けないし

近づかない、

「卦を立てて依存するなら立てなければいいじゃないか」

という、

半年以上

易経を学んだ後に

そんな当たり前のことに

やっと気がついたのでした。

 

 

 

以上、村上春樹さんノーベル賞残念だったなあと、

タイトル思いついたので書いたら、

意外と書けたなあという話でした。

 

2015年10月08日 00:00

風姿花伝の花


2015/09/16

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(写真は越天楽の糸を美しい紫色で染めてくれる蝶豆の花です)
 
本を読んでいると
いい本であればあるほど
その時の自分の状態によって
(松岡正剛さんあたりは編集の力というのでしょうが)
全然違う風に読めたりします。
まあ、その時々の知識や構成力、経験
によって 変わってくることははあると思います。
その本をどう読むかというのは
その人の現在のすべてを表しているのともいえるので、
感想を書くのは少し
面映ゆい気にもなります。
世阿弥さんが書かれた
「風姿家伝」は
日本人が美しいと感じる基準の一つ
とも言われていて
大好きな本のうちの一つですが、
久しぶりに読むと
特にその内容は
今の自分にとって
全然違う読み方になって
思わず笑ってしまいました。
ずっと
小賢しく裏読みして、
「時分の花」
ということが最重要で、
「今しかできない美しさ、
今あることの美しさ」
ということの表現の書だと思っていたのですが、
久しぶりに読むと
「花とは
我を消していくことによる
宇宙全体の瞬間的な把握である」
という意の書なんだなあと思い、
あ、そういうことかと愕然としました。
子供が出来てから
日々、子供と接する時間が増えると
子供の成長が
花のようで、
世阿弥さんいうところの
宇宙全体の把握を
日々、純粋に行って、
浅はかな個性ではなく
日々、世界に近づこうとして
咲いているさまは
儚くて
美しくて
うらやましくもあります。
ただ、子供の時に
自然と行っている世界への認識は
あくまで
「時分の花」で、
大人になってからの
我を消していきながらの
世界への認識こそが
「真の花」
なんだよと、
世阿弥さんは
おっしゃられているようないるような気がします。
これを商売で考えると
全体を認識した段階で
すでに動きは決まっていて、
どう咲くか?
というのは
安易にどうするか?
ではなく
宇宙全体(世界や社会や自分)を
どう認識するか?
ということにつきるように思えます。
ということは、
結局いつものように
僕の苦手な
「見たくない現実を見る」
というところから
はじめなければいけないわけで・・・。
美しく咲くためには
地道に地を掘り、根を張る作業の繰り返しである
ということに直面させられるのでした。

以上、ひさしぶりに風姿家伝を読んだという話でした。
 
2015年09月15日 08:55

つらくてつらくて脂汗がでてくるような時期がやってきました・・・。


 


 

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(写真は縦横無尽の阿弥陀さんです)

 

 

 

今回はただの愚痴ですよ・・・。

読みたい方だけどうぞ。

 

 

 

一年のうちで一番つらくてつらくて

脂汗がじわ~と出てくるような、

いやーな時期がやってきました・・・。

 

 

 

中小零細企業のオヤジにとっては必須ですが、

来期の経営計画というような

かっこいい表現とは違う、

ようするに来年にむけて

商売と個人についての

見たくない現実を

涙ながらに見る時期です・・・。

 

 

あーいやだなあ~。

みたくないなあ~。

 

 

見た後、さらにしばらくは

脳から本能的にに出てくる

安易な解決策で

楽をしないために、

また、熟成させて前意識を引き出すために、

すぐに答えを出さないし

一切手を打たないという

これまたつらい

もやもやした時間が待っています・・・。

今から3ヶ月ぐらいも・・・。

 

 

ほんとうにしんどい作業です・・・。

 

 

昨年、僕個人に関していうと

「浅はかな、薄情もの」

という

浅いうえに薄い・・・

という

泣きそうな現実でございましたが

今年はどうかなあ・・・。

 

 

 

僕の周辺におられる方は

今からしばらく不機嫌だったら

こいつ今短絡的な防衛に走らずに

本能と戦っているんだな~

と大目に見てくださいね(笑)

 

 

 

 以上、ただのボヤキでございました。

 

2015年09月08日 00:00

嵐山の外さないお食事処(一人飯の場合)





 

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(写真は或る日の嵐山です。)

 

 

最近、備忘録が続いていますので、

たまには、嵐山のご紹介を。

 

 

嵐山に来て何に困るかというと

食事に困るということを良く伺います。

お客様とお話しさせていただいた中には

1人でいらっしゃるという方も結構多くて

特に女性1人で食べるところがないというご相談も頂きます。

今回、

僕が嵐山で食事してみて

これは外さないな

というお食事処をご紹介しますね。

ただ、あくまで味覚は好みなので

外したらすいません。

 

1人で食事に行かれる場合

お友達と行かれるのと違い

リーズナブルで

そこそこ外さなければ

という方が多いと思います。

ですので、今回のご紹介は

800円〜2,000円くらいのお店です。

 

 

 

蕎麦祥さん
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以前もご紹介しましたが

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(最近お気に入りの温の鴨なん)


僕が京都で一番好きなお蕎麦屋さんです。

やはり、最初はざるで頂いてほしいなあ。

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店主のお人柄が良く出た蕎麦ですから。

以前は、土、日のみの営業でしたが

最近、月、金、土、日の営業になりました。

 

 

 

大塚さん
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お肉のお店です。

海外の方がすごく多くて、

日本の和牛の柔らかさを堪能されておられます。

もちろん日本人が食べても

美味しく頂けます。

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ただ、女性1人だと

結構なボリュームなので

少なめをお願いしてもいいかも知れません。

 

 

 

ピーピングトムさん
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オージービーフのステーキのお店です。

全くの地元向けのお店で

過度に綺麗でなく

過度の愛想もありませんが、

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リーズナブルで

おろしポン酢でいただく

柔らかい肉は

肉食いて〜

という時についつい伺ってしまいます。

残念なことに最近は夜だけの営業になっています。

 

 

 

大善さん
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京都圏で名物の鯖寿司が頂けるお店です。

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(鯖寿司以外も美味しいです。)

美味しい日本酒も置いています。

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お酒が好きな方だと

美味しい鯖寿司と美味しい日本酒とい う

京都の黄金の組み合わせを

一度は味わってみて下さい。

 

 

 

タイムさん
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(よく伺うので食事写真を撮っていませんでした…。また、伺った時に撮影してアップしますね。)

うちのお店である縦横無尽の

横の横にあるお店です。

2階なので入りにくいですが、

ランチが800円とお手頃で

如何にも京都という食事に疲れた時

普通の定食だけど温かみのある

こちらの食事を頂いてみて下さい。

なんだかホッコリします。

時間帯によっては地元の人でいっぱいです。

 

 

 

DOPPOさん
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(こちらもお披露目会や会議の後によく伺うので食事の写真を撮っていませんでした…。また、伺った時に撮影してアップしますね。)

以前、ホームページの嵐山の美味しいもの処で紹介していますが

うちのお店である越天楽の

横の横の横にあるお店です。

越天楽の向かいのマルシェさんと同じ系列のお店です。

パスタランチ等910円からとお手頃で、

地元の方も

女性一人で

ちょっとした食事に良くご利用されています。

 

 

 

番外編

米満軒さん

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(こちらもよく伺うので和菓子の写真を撮っていませんでした…。また、伺った時に撮影してアップしますね。)

以前にもご紹介しましたが

ここの和菓子は京都で一番好きです。

 値段も200円までなので

こちらで桜餅を買って(桜餅以外も)

温かいお茶を買って

散策の途中にいい場所があれば

腰かけて

ゆっくり過ごしてみて下さい。

建物の中で頂く甘味とは違う

趣きを感じて頂けて

良い旅の礎石になると思います。

(ただ、場所によっては食事禁止のところもあるのでご注意下さいね。)

 

 

 

次回は

いつになるかわかりませんが

家族での食事も良く聞かれるので

家族の場合もご紹介しますね。

 

 

 

以上、嵐山はすごく良いところですよ。

 

2015年08月02日 00:00

ご質問、ご要望への今の僕なりの回答


 



 

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 (写真は僕の一番好きなビールChangです。恐らく酒呑みはこの癖のある味がみんな好きだと思います。写真のビールは泡多過ぎですが…)

 

 

 

備忘録的な内容に幾つかご質問とご要望をいただいておりまして

以前もお伝えいたしましたが

メールでお答えせずに

まとめて僕なりに答えさせて頂きます。

備忘録の内容についてのご質問、ご要望は

読ませて頂いておりますが

似たような傾向のご質問の場合、

まとめて答えますので

返信しないこともございますことご容赦ください。

 

 

1、販売の神様の内容について

前提条件をしても販売の神様が降りてこないんですけど!!

といった意味合いのご質問

結構多かったです。

 

販売員の方が見られているのかなあ~。

前提条件をすべてしても

販売の神様が降りてこないんですけど

みたいなメールを多く頂きました。

 

これに関しましては申し訳ないですが

それはそうだろうと思っております。

 

理由の一つは前提条件を全部お伝えしていないからだと思います。

ただ(無料)で見る情報で全部を

お伝えすることはありませんし、

やはり資本主義は少数であることに価値があるので

みんながこのやり方でやる

と即座に価値がなくなってしまいます。

ですので自分の備忘録でありながら

前提条件は掲載した以外にいくつかございます。

 

理由の二つ目ですが

この前提条件で書いてないこと以外すべて知ったからと言って

これはあくまで僕の前提条件であって

人によって前提条件は違うから降りてこないだろうと思っています。

例えばうちのスタッフさんには

聞かれたらもちろんすべて答えると思いますが、

だからと言ってその通りにしても降りてこないと思います。

 

なぜなら社長のしていることに頼って

前提条件をしている事自体が

社長のノウハウに依存

していることになるからです。

依存すると販売の神様は降りてきません。

 

この矛盾具合を受け止めれば降りてくると思いますよ。

「この矛盾を受け入れてみて下さいね~。」

というのがこのご質問に関する一番誠意ある回答ではないかと思っております。

 

 

 

2.「どんな本がおすすめですか?」

という質問も結構頂きました。

正直な回答としては

「分かりません」

としか言えません。

読書は非常に個人的なものだし自分の力以上のものは入ってきません。

僕はもともと哲学や歴史が好きで

この分野の古典も読んでいてもすごく面白いです。

 

最近は最先端の物理や数学に関して

学びたいと思って色々試みています。

ただ、この分野は僕の中に基本的なデーターベースがないので

構造の理解すら中々たどり着けないでいます・・・。

 

個人的な読書のデータベースの媒体としては

ドラッカーさん、ニーチェさん、マルクスさん、ハイデガーさん、松岡正剛さん、亀井勝一郎さん、村上春樹さんが好きかなあ~。
(ただ、村上春樹さんの小説は好きではなくエッセイや対談が好きです)

読書はある程度培ってきた自分の中のデーターベースがないと

難しいと最近特に思います。

 

 

3:見たくないは現実とは何ですか? またどうやって見るのですか?

という傾向のご質問も頂きました。

「見たくない現実」

これは塩野七生さんがカエサルさんの事を書かれた

「ローマ人の物語」という書籍で有名になった

自分にとって都合がよかろうが悪かろうが

事実をあるがままで見る

という意味でつかわれている言葉です。

ただ、「2念をつがない」という臨済宗の白隠さんの言葉とは微妙に違って

どちらかというと自分にとって都合の悪いこと、

目をそむけていることを重点的にみるといった意味合いが強いです。

 

どうやってするかということについては

個人的なことだから人によって違うとは思いますが

僕の場合は、なるべく具体的で悲観的な数字や言葉を出して

それを涙ながらに味わうことです。

 

岡本吏朗さんという方が

見事に言語化されているので

僕に聞くより

岡本吏朗さんの書籍をお読みください。

ただし、すべてその通りにすると

ずれるのであくまで

もし、本気でされるのであれば

自己流ということを

貫いて下さいね。

 

岡本さんが書かれていることの通りにしても

十分泣きたくなるような

見たくない現実は見ることができると思いますけど・・・。

 

ただ正直なところ、ご自分で商売をしていないならあまりお勧めはしません。

普通に生きていれば見たくない現実を見る必要はないと思います。

見ても見なくても結果は変わらないことが多いし、

見ないほうが多幸感があると思いますので。 

 

 

4.販売をしていて嫌になったり、集中できなくなったりしませんか?

またどうやって集中力を保っていますか?等

販売の方が多いからか同じ傾向の質問を頂きました。

 

もちろんすぐに飽きたり嫌になったりします。

売れない時は特に。

だから僕の場合は自分が飽きないように色々遊びを入れているかなあ。

今年の僕の遊びでいうと

「ディスプレイを中国古典でみる」

ということかなあ~。

ディスプレイを見て

「うわあこれ乾為天の最後だから陽極まってるなあ~」

とか

「これ水雷屯の最初だから生みの苦しみが続くなあ~」

とか
(中国古典知らないと意味わかりませんね。すいません。)

自分なりの楽しみを見つけて遊ぶ感じです。
 

要するに自分の思考に何らかのフックのかけどころをつくるということかなあ~。

何だかありがちな答えですけど。

 

 

 

以上、個人的な備忘録に関する

同じような傾向のご質問、ご要望に関してお答えしました。

また、質問が増えれば文章にしますね。

 

ただ、あくまで僕が自分の思考を深めるための個人的な備忘録で

最近特に自分自身に向けて書いているところがあり、

内容についての正しさは保証できませんし、

ご質問頂くような内容でもないとも思っております。

できれば他に僕より素晴らしい

専門の方や

ブログをされているところに

ご質問して頂いた方がいいと思います。

 

また、非常に驚いていますが

文章を書いてほしいというご依頼を頂きました。

読んで頂ければわかると思いますが

文法的に明らかにおかしくて

独りよがりの内容ですし、

きちんとした文章を書くことは

無理です。

ご依頼を頂いても

すべてお断りいたしますので

ご了解ください。

 

 

以上、質問に答えるのも結構時間がかかるなあという話でした。

 

2015年07月31日 00:00

イノセンスと筋トレと残酷な現実




 

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(写真は嵐山で見かけた鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)です。)

 

 

先日、アニメをつくっているツレ

食事をしていて

押井守さんの

攻殻機動隊「イノセンス」って映画いいよね

と話になり、

改めて見なおしてみたのですが

確かに良かったです。

 

どんな話かというと

ロボット技術が進化して

身体の一部が機械だったり

脳以外はすべて機械だったり、

脳も機械だけど人間である

という存在もいたりする

社会の話で、

脳も機械だったら

ロボットと人間の違いは何か

ということを問いかけるんだけど

その違いは結局ほとんどない・・・。

というような話です。

(かなりざっくり要約すると)

 

最近よく言われるようになってきた

「微差」

を描ききった映画で

これが2004年の

こうやったらお金が儲かるとか

こうやったら仕事がうまくいくとか

パワースポットに行けば運がよくなるとか

安易なノウハウ全盛の時代に

つくられていたということに

驚いてしまいます。

 

フェリーニさんの

「創発」

を描ききった

「8 1/2」

にも伍するべき

作品だと個人的には思っています。

 

 

 

それとは別の話ですが、

僕は意志力が弱く、

運動をしようと色んなジムに行っては

やめるということを繰り返していたのですが、

一年以上前から

パーソナルトレーナーをお願いしていて

付きっきりで指導してもらって

次の予定を決めていかざる得ない状況になってようやく

続くようになりました。

その先生が僕にとっては実にいい先生で、

常に僕にとってのぎりぎりの

ていうかこれはもう無理

というぐらいの負荷をかけて下さって

数日階段を上がるのがしんどいくらいです。

 

筋トレをしていて

筋肉が一番つくのは

このもう無理という状態からの

もう一回と言われています。

 

仕事でもそうですが

もう無理という状態からの

一回というのは

力はつくけど

他の人には見えなくて

はかることも出来ない

傍目にはよくわからない微差です。

 

情報が多くなったうえに情報を得ることが簡単になったことで、

情報の格差で優劣がつけづらく

ノウハウの価値がなくなってきている現状で、

結局、自分にしかわからない微差でしか

結果の差がつかない、

しかもその微差を実行できる人間は

持って生まれた資質によるところが大きい

というのは

何とも

「残酷な現実」

 だなあと思います。

 

 

久しぶりにみた押井守さんの

「イノセンス」で

そんな残酷な現実の美しさを感じることができました。

 

 

まあ結局

亡くなられた恩人がおっしゃられていた

「慎独」

につきるんだろうけど

資質もあるしなあ~。

と言い訳しつつ

もう少しやってみるかと思えました。
(無理だと思ったところからのもう一回です(笑))

 

 

以上、ひさしぶりに映画を見た話でした。


 

2015年07月14日 00:00