友人と大きな物語の死
今回もかなり個人的な内容です。
読みたい人だけ読んで下さいね。
先日たまたま会った共通の知人から
昔の友人の死を知りました。
ずっと会っていなかったけど
当時は
大きな物語に生きようとした
男でした。
共通して
司馬遼太郎さんと
幕末が好きで、
思春期にあった
天安門の事件から
「俺が世界を変える」
と、革命のために中国に行こうとして、
中国の学校を調べて
入学希望の手紙を沢山送って
一通も返事がない程度で、
「世界は変わる。だから俺もそれにあわせて変わる」
とあっさり変節し、
常に現実的で
後ろ向きに生きてきた
僕と違い、
海外で成功した後
日本に帰国し、
大きな物語に基づいて
一攫千金と革命を
夢見て
生きていた男でした。
そして、その後
彼の大きな物語は
破綻したとも聞きました。
今だと決別したあの時に、
共通して好きだった
坂口安吾さんが書かれた堕落論にある
「人間は可憐であり脆弱であり
それゆえ、愚かなものであるが
堕ちぬく為には弱すぎる。
人間は物語を選択せずにはいられない」
という一文の話をして、
ヒトラーや
幕末や
革命のような
大きな物語ではなくて、
現実的だけど
自己都合でない、
情動的だけど
自分自身が感じる
全身の物語を
話せたのになあと
少し寂しく思います。
でも、それすら
ただの僕の感傷で、
破綻していようと
完結していようと、
彼は彼の人生を
生ききったに違いない
とも思っています。
彼の死を聞き、
僕は僕で
後ろ向きで
現実的で
情動的な、
物語のない
人生を
諦めずに生ききろうと、
改めて
決めた日となりました。
合掌。