般若心経と創発と三十三間堂と
般若心経は昔から大好きで
何かしら毎日ブツブツ言っています。
様々な解釈と切りとりが出来るのが面白く、
最近は最後のほうにある
「故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
というところの解釈は「彼岸に行こう」という
向こう岸に渉る創発を教えてくれているように感じ、
ということはそこに至るには
「照見」
見たくない現実を観て、
「色即是空 空即是色」
境界線を広げて(より深めると識の境が識になる、境界線を持たないことだけど)
ひたすら意図を持たない熱量を持つという行動になってくるなあと思っています。
コロナ禍での個人の生き方に置き換えるとまさにこの般若心経だよなあと感じていて、
ひたすら悶々と掘り下げていく作業を身をもっておこなっていかざるを得ない絶望に追い込まれるだろうなあと思っていたら、
意外にも、お客様やスタッフさんや大好きな奥さんの助けもあって、
なんやかんやと過ごしていける環境で
下手をすると深めるどころかこなしがちな自分がいて、
ちょっと最近慌てて、悶々とした深堀りに突っ込んでいっているところです。
早朝に東からの太陽に照らされた観音像達が彼岸をあらわすといわれた
三十三間堂に行って、
改めて目先ではなく数年先に向けて、
意図を持たないけど膨大な熱量をもって
悶々と悶々とワチャワチャとワチャワチャと
当たり前のことを深く深く、掘り下げて掘り下げて掘り下げて、
創発という彼岸に渉ろうと決めるのでした。
でも、彼岸に渉ろうということ自体が意図だよなあ・・という話でした。