京都嵐山 越天楽 縦横無尽

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母の欲望、父の超自我、現実は正解だ@談志さん



2025/10/31


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(写真は縦横無尽の月灯籠です)

今年のはじめに母が亡くなり、
2,3カ月に一度父と
8年前の母の誕生日からやめていた
酒を酌み交わすようになりました。
特に偲ぶこともなく、とりとめもない話をするだけなのですが、
たまたまラカンさんの話になって、
最初の根源的な「欲望」は言葉を持たない子供の時期に
母の欲望できまるよね~みたいな話で、
さておふくろの欲望って…となり、
そういえばよくあるような不足であったり、
世間にたいする承認であったり、
自らの正しさを発することではなくて、
「色々味わい尽くしたい」
という欲望が強かったかな~と話していました。


一方、父親の欲望は、
言葉を持った後の子供の行動を決める、
いわゆる子供から大人になる時に決定される
社会的な「〜ねばならない」といえる欲望である「超自我」で、
これもよくある自分を主語にして機嫌を取らせたり、
社会的な地位や評価であったりといったものではなく、
おそらく苦労した生育歴が関係しているのか、
「必要条件を整えつづける」
といった地味なものでした。

 

大好きな談志さんが喝破した
「現実が正解だ」
という言葉通り、
自分の意志で選んだと思っていたものが、
中小零細自営業者にいたるのは
ここに内包しているよね~
と苦い気持ちとともに味わうのでした。


孔子さんが天命を知るといっていた年を過ぎて
考えるのはいつも「諦念」で、
いかに手放すかということを日々考え、
エネルギーもリソースも欲望も減少していく中で、
それらを手放して「次の彼岸に渡れるのか」ということを
繰り返し試みるも、
なかなか思うようにならない日々が続き、
これを味わうことが自身の欲望なのかと、
ちょうど毎年のみたくない現実をみる作業も重なり、
途方にくれる日々が続いていました。


そんな中、先日大好きな岡本さんのワークがあって、
ハイデガーさんからラカンさん、道元さんからスピノザさんにいたる
エキサイティングで辛く厳しい内容(笑)だったのですが、
ちょうどラカンさんの言う「ファンタズム横断」、
ようするに「彼岸へ渡る」話ですが、
欲望はそのまま変えずに横断するという話を伺い、
何か音をたてたように了解し、
激しく頓悟したのでした。

ただ、ハイデガーさんもラカンさんも道元さんもスピノザさんも
結局「欲望は今の努力からしか生まれない」とおっしゃられていて(僕の認識ですよ)、
結局日々努力していくしかないなあと、
散々逡巡した上に、
ありきたりの結論へ至るのでした。


そうやってぐるっと戻ってきてから、
談志さんの「現実が正解だ」という言葉を味わうと
凄みをましてくるよなあと思う一方、
談志さんの「努力とは馬鹿に与えた夢である」
という言葉は逆説的で仏教的で、
まさに
「欲望は自己の研鑽からくるし、
自己の研鑽は欲望からくる」
という
道元さんの「現生公案」の教えとともに
来年を迎えるしかないよなあと
脂汗とともに苦々しく受け入れるのでした‥。



以上、まあ受け入れますよ‥という話でした。



 

2025年10月31日 21:36