世阿弥さんの悲しみ、一斎さんの哀しみ、或いは孫子さん
(写真はリニューアルした越天楽玄関の花です。)
全く違った風に読めて、
其れから
50代に書かれた
「花鏡」
80代に書かれた
「却来華」
を紐といていって、
とくに
これから全てを継がせようと
考えていた息子さんに死なれた後に書かれた
「却来華」
を読むと、
世阿弥さんの
気丈さ
深い悲しみに
涙を禁じえません。
佐藤一斎さんの
「言志四録」
も大好きな書で、
久しぶりに紐とくと、
中斎さんから
華山さん達から
ペリーさんまでの
時代の激動の中にありながら
自らに刻みつけるように
行動を抑制して、
全てを観て
中道を表現すること
のみに徹してきた
哀しみが伝わってきて
こちらも涙を禁じえません。
今年に入って、
涙したのは
この二つの書でした。
引き継ぐことの出来ない悲しみと
ただ観ることに徹する哀しみは
その能力が欠如している人間にとって
羨ましく
寂しく
絶望の淵を感じます。
そんな時に何時も
思い出すのは
孫子さんの
「奇勝なく
智名もなく
勇功もなし」
という
「ただ行くしかない」
言葉で、
今はまだ
悲しみにも
哀しみにも
出会うには早すぎて、
いずれ
絶望の淵の先に
出会うのかもしれないけれど
それでも、
前に踏み出すしかないんだよなあ。
以上、
最近読んで
泣いた本は何ですか?
とメールを頂き、
書いてはみたけれど、
「結局凡人は勇気だよ
先に何が待っていようとも」
という
陳腐で自己陶酔的な話に落ち着いて
すいません‥
という話でした。