京都嵐山 越天楽 縦横無尽

自分たちで面白いと感じる作品や商品を
自分たちが楽しみながらつくりあげた時間と空間にのせて
お客様に喜んでいただけることが何より嬉しいです。

etenraku

HOME ≫ 社長雑記 ≫

社長雑記

自由についてのエトセトラ





 

 image-119x300

(写真は玄関で孵ったカマキリです。)

 

どこに向かっていく途中なのか

覚えてないけれど

小学生の娘

車に乗っていて、

僕が運転して

娘は助手席に乗っていたのですが、

娘が突然

「ちゃん(僕は娘にこう呼ばれています)、

自由って何?」

と聞きました。

僕は説明しようとしましたが、

うまいこと言えず、

「今は上手いと言えないから、

一度良く考えて

明日言うね」

と、娘に伝えました。

 

次の日、

沢山の宿題を終わらせて、

やっと自分の好きに遊べる時間になった

娘を捕まえて、

「昨日の自由の話だけど

ちゃんが思うに、

人は生まれた時に

偶然与えられた

「自分にしかない変なところ」

から出発するのだけれど、

世界は色々大変で

「変な自分」

のまま大人になって

生き続けるのは難しい、

それでも

「変な自分」が

「変な自分」で

居続ける為に、

お金を稼ぐことや、

勉強することや、

道徳や哲学なんかを

武器にして

「変な自分」

を世界に投げつける。

生まれたままの

「変な自分」

でなるべくいる

「義務」が、

自由かなあと

ちゃんは思う」

と、娘に言うと

娘は

「ふうん、分かった。有難う。

ちゃん、変なところ多いもんね」

と、言って

何処かに

行ってしまいました‥。

 

以上、

中小零細自営業のオヤジは

一方的かつ変人だ

という話でした。

 

2016年05月07日 00:00

友人と大きな物語の死


 


 

image-300x225
(写真は嵐山の山と空との境界線です)

 

今回もかなり個人的な内容です。

読みたい人だけ読んで下さいね。

 

先日たまたま会った共通の知人から

昔の友人の死を知りました。

ずっと会っていなかったけど

当時は

大きな物語に生きようとした

男でした。

 

共通して

司馬遼太郎さんと

幕末が好きで、

思春期にあった

天安門の事件から

「俺が世界を変える」

と、革命のために中国に行こうとして、

中国の学校を調べて

入学希望の手紙を沢山送って

一通も返事がない程度で、

「世界は変わる。だから俺もそれにあわせて変わる」

とあっさり変節し、

常に現実的で

後ろ向きに生きてきた

僕と違い、

海外で成功した後

日本に帰国し、

大きな物語に基づいて

一攫千金と革命を

夢見て

生きていた男でした。

そして、その後

彼の大きな物語は

破綻したとも聞きました。

 

今だと決別したあの時に、

共通して好きだった

坂口安吾さんが書かれた堕落論にある

「人間は可憐であり脆弱であり

それゆえ、愚かなものであるが

堕ちぬく為には弱すぎる。

人間は物語を選択せずにはいられない」

という一文の話をして、

ヒトラーや

幕末や

革命のような

大きな物語ではなくて、

現実的だけど

自己都合でない、

情動的だけど

自分自身が感じる

全身の物語を

話せたのになあと

少し寂しく思います。

 

でも、それすら

ただの僕の感傷で、

破綻していようと

完結していようと、

彼は彼の人生を

生ききったに違いない

とも思っています。

 

彼の死を聞き、

僕は僕で

後ろ向きで

現実的で

情動的な、

物語のない

人生を

諦めずに生ききろうと、

改めて

決めた日となりました。

 

 

合掌。

 

2016年05月02日 00:00

禅の和尚とおなら


 


 

image2-300x163
(写真は松尾さんの山吹です)

 

商売をはじめた時から

ずっと探していて

いまだに出会うことのできない人に

禅の和尚がいます。

 

見たくない現実を見るのが苦手な

僕にとって

見抜いてくれる

理想の

禅の和尚のような存在を

ずっと探していました。

しかし、いまだに見つかっていません・・・。

 

 

2016年も4月になり

小学校に行っている娘の学年も変わり、

娘が持って帰ってきた

新しい担任の先生の文章に

アインシュタインさんの言葉が書いてあって、

フロイトさんがいう

「超自我」

についての文章だったのですが、

大好きな奥さんに

「新しい先生、超自我の事を書いていていいね~」

と話していると、

「ふ~ん、まあ嫌いではないけれど」

と言いながら

全く関心のない様子でした。

 

しばらくして

別の時に

「超自我」

の話をしていたら、

どうも僕の滑舌が悪く

「超自我」

「鳥獣戯画」

と聞こえていたようで、

説明すると

今度は

「超新星」

に聞こえたらしく、

「どうでもいいわ」

と一喝されました。

 

それでも

「超自我」

について分からないかもしれないと

しつこく
(そういう性格なのです)

「子供のころに

人前でおならをしても平気な家庭と

絶対にしてはいけない家庭があるだろう。

してもしなくても

どちらが正しいではなく

家庭で正しいと与えられたもの

それを「超自我」というんだよ」

と言うと、

奥さんは

「小難しい言葉を使いたがる

あなたの説明が

おならのようで、

ただ単に

俺知っていると

言いたいだけなんじゃないの」

と見抜くのでした。

 

 

以上、禅の和尚は

探さなくても

いいのかもしれない

という話でした。

 

2016年04月27日 00:00

何かを壁に投げつけて、はりついたものを全部だす。はりつかなかったものも全部だす





 

image1-225x300 (3)
(写真は佐野藤右衛門さんの桜です)

 

と、いうわけで

ボブディランさんのコンサート

行って参りました。

 

今、感傷的に

彼から思う

「欲望」

を考えています。

 

 

 

「何かを壁に投げつけて、

はりついたものを全部だす。

はりつかずに落ちたものも全部だす」

というのは

ボブディランさんの言葉だと

記憶しているのですが、
(確か自伝で書かれていたかもしれないというだけでかなり曖昧です。間違えていたらすいません‥)

「はりつかずに落ちたもの」

を思うとき

焦燥感に襲われます。

 

自分の持ち分で

はりつかずに落ちたものは

何だろう?

 

ボブディランさんは

落ちたものすら出していたけど

僕はどんな

はりつかずに落ちたものを

出すことができるのだろう?

 

哲学は

解き明かすことではなく

今のところただの理屈になってしまったけれど、

それでもなお

好きなハイデガーさんの

「投企」

という言葉は

死に向かう人間に出来る

唯一の選択として

「投げつけろ」

といっていて、

ボブディランさんのコンサートで

久しぶりに

ハイデガーさんを思い出して、

理屈っぽい人間は

もう間に合わないという

結果も

出てしまったけれど、

それでもなお

 

「壁に投げつけて、

はりついたものを全部だして、

はりつかずに落ちたものも全部だそう。」

と決めるのでした。

 

そうするとやることだらけだ‥。

 

 

以上、感傷的な時は

自己満足に終始するなあ〜、

それにしても日本人はやさしいなあ〜

という話でした。

2016年04月11日 00:00

2016年春夏新作出来上がりました





 

image4-218x300

お待たせいたしました。

2016年春夏新作

出来上がりました。

 

個性的なもの
image3-203x300

 

着心地の良いもの
image1-203x300

 

チュニックやワンピースも
image2-203x300

 取り揃えております。

 

3月18日から新作が

 店頭に並びます。

是非お越し下さいませ。

スタッフ一同楽しみにしております。

 

(3月22日、23日、24日、26日、27日は

越天楽はお休みですので、

ご注意下さい。)

 

2016年03月13日 00:00

偏屈男の学び方





 

 image5-300x196
(写真は渡月橋から見た朝日です)

 

 

 

中小零細企業社長の常として

人の話は聞きません。

「なるほど」とうなづいている時

大体別のことを考えています。

 

ただ、そんな偏屈な人間でも

学びたい

成長したい

ということもあります。

 

通常、学びたいことには

優れた先達がいて

自分の学びの為に

一応質問してみます。

自分を晒さない

自己防衛の質問で‥。

「まあ俺分かっているけど一応聞いてみるわ」

的な態度で‥。

 

もちろん、求めている

先の礎石になるような

答えは得られず

結局自分で学ぶことになります。

毎回分かることは一つです。

 「自分でやるしかないなあ‥」

 

 

そんな人間が何かを学ぼうとすると

ものすごく時間はかかるんだけど

前に進まずに

戻って戻っていくしかないわけで‥。

 

まあ、そんな偏屈な僕は

数年前から複雑系を学びたくて

学ぶ時はこれも偏屈ですが

原典からしか興味なく

マンデルブロさんの

「フラクタル幾何学」

にアプローチしているのですが

全く近づけませんでした。

 

前提となる微分積分や位相幾何学の知識がないのです。

で、その手の本を読むのですが

全く歯が立たない‥。

 

諦めかけていた時

娘が

小学生なのですが

分数の問題をしていて

僕がやってみると

間違えて、

笑われながら分かったことは

「分数の認識を間違えていた」

という衝撃でした。

 

分数を認識した今

マンデルブロさんの本

少し、思考のフックに引っかかってきています。

 

良き師が無理な僕は

学ぶ為に

小学生まで戻って

学ぶ必要があるという

愕然とする現実でした。

 

これ、仕事で

良き師が無理な場合

プライドを捨てて

何処まで戻れるかが

結果を左右するということなんだよなあ。

深く戻ると

当然のように

 生育歴までいってしまうけど‥。

 

 

以上、義務教育大切だなあ〜

という話でした。

 

2016年02月28日 00:00

縦横無尽の電話番号を変更いたします。





 

image1-225x300 (2)
(写真は車折さんの梅です)

 

京都では梅、早春を開きはじめました。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

2月19日より

縦横無尽の電話番号を変更いたします。

旧電話番号075-366-8814

新電話番号075-881-4746

となります。

 
良い春をお過ごしくださいませ。

 

越天楽

縦横無尽

河野隆史

 

2016年02月16日 00:00

本好きの病 ニーチェさんからドラッカーさんへ





 


(写真は今、どはまりしている日本酒「祐星」です。
大阪中心にいくつか店舗をされている鳥中心の居酒屋さんのオリジナルで、
大阪に行って飲む時は最近これしか飲んでいないぐらい好きです。)

 

 

幼いころから

本が好きな人間の常として

20歳前後は

マルクスさんか

ドフトエフスキーさんか

ニーチェさんに
(他にも色んな哲学等はあると思いますが)

かぶれてしまいがちだと

勝手に思っています。
(あくまで僕が思っているだけですよ。)

 

僕自身は

マルクスさんの堅牢な論理構築は苦手で、

ドフトエフスキーさんの情緒的な心象風景も受け付けず、

ニーチェさんのちょっと行き過ぎた感じが好きで

ご多分に漏れず

かぶれておりました。

 

かぶれ過ぎて

二十歳前後に

ニーチェさんが創作していた

フランスのニース近くにあるエズの村まで行って

ニーチェさんが歩いた道を

歩いてみたりと

気取ってもおりました・・・。

 

もちろん、

全く、

これっぽっちも、

超人にはならないし

創発も起こりませんでしたが・・・。

 

で、その後ドラッカーさんに出会って

ドラッカーさんの

一文で

ニーチェさんを卒業して

商売に入るわけですが、

ちょうど

ドラッカーさんに出会ったころに

ドラッカーさんが来日されて

確かダイヤモンドさん主催だかと思うのですが

講演があって、

東京で

10万円くらいで

当時商売をはじめていたけれども

全然余裕がなくて

無理だなあ~

と思っていかなかったのですが、

それが最後の日本講演で

「いけばよかったなあ」

と今でも後悔しています。

 

基本的に後悔はない性格ですが

立川談志さんの

亡くなられる前の高座と

ドラッカーさんの

最後の日本講演は

行けばよかったな~。

 

で、

このまとまりのない

文章で

結局言いたかったことですが、

4月は嵐山で桜が美しく咲き

多くの方にお越しいただき

お店もささやかながら忙しくなる中で、

4月に

大好きなボブディランさんの

日本公演があって、

ボブディランさんは74歳になられてて

お元気だとはいえ

できたら今回行きたいな~と。

 チケットもう買ってしまったし・・・。

 

 

以上、4月11日は店がどんなに忙しくても

僕は諸事情により店を休んでおります

という話でした。

 

 

2016年02月01日 00:00

志ん朝さんの「ふら」





 

image6-225x300 (1)
( 写真は或る日の渡月橋から見た愛宕さんです)

 

昨年

大切で

苦手なことに

シーシュポスさんのような気持ちで

向かい合わせてくれる

税務作業に

談志さんと共に

在る

という話を書きましたが、

毎年同じことというのは嫌いなので

今年一緒に

在るのは

志ん朝さんでした。


(志ん朝さんの愛宕山です)

 

談志さんの

日常からの

芸に対する

執着と

執念、

自己の芸に対する

観は

他に追随を許さないもので、

狂気系の

落語

 「死神」

の偏執的な素晴らしさは

今お弟子さんがされても

物足りなく感じ、

それを超えるものは

未だにないと

思っています。
(お弟子さんの談春さん最近凄いと思いますが)

(談志さんの死神です)
 

一方

志ん朝さんは

日常から

江戸の粋の

立ち振る舞い、

努力を見せずに

軽いのに

深い、

色気と艶、

にじみでる滑稽味、

落語でいうところの

「ふら」

を体現された方

だと思っています。

(志ん朝さんのそば清です)
 

相反する

二人に共通するのは

自分の

生まれもった

できることだけを

深めていく、

「中庸」

いうところの

「天命」

を脇目もふらずに

きわめつくした

というところだと

思っています。

 

ということは

自身に置き換えて

考えると、

結局

昔、恩人

に頂いた言葉

「慎独」

から入らなければ

ならないわけで‥。

 

 

 

以上

苦手な上に

山のようにある

事務作業から逃走して、

ブログを続け様に二つ書いてみたけど

当然

状況は全く変わっていない・・・。

という話でした.




 

2016年02月01日 00:00

2016年宜しくお願いいたします


 



 

image3-300x225
(写真は越天楽イベントです)

 


あけましておめでとうございます。


2016年も

越天楽

縦横無尽では

より楽しい

作品と

空間と

時間を

お届けして、

もっともっと

お客様に喜んで頂くよう

天をも越える楽しさで

縦横無尽に

精進してまいります。

 


どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

越天楽

縦横無尽

スタッフ一同

 

2016年01月17日 19:09